|
髑髏にそっと触れてみた。何かで殴られた痕なのだろうか、向かって右の側頭部が陥没している。
初めてカンボジアを訪れたのは2000年11月。ここは、首都プノンペン市内に建つ「トゥールスレン虐殺博物館」。伝え聞いていた通り、虐殺の犠牲者の髑髏を使って、カンボジアの地図が作成・展示されていた(現在は撤去済)
何も語ることのできない、しゃれこうべ群。男か女か、老人か若者かも分からない。だが、それらのひとつ一つが物言わぬ証人たち。
自分の取材範囲外であるカンボジアを訪れたのは、ポル・ポト時代(1975−79)の大虐殺とは何だったのかを知りたかったことにある。わずか5年の間に、およそ100−300万人の人びとが殺されたのだ。
「戦争」の研究の権威者に日本で、カンボジアの大虐殺のことを尋ねたことがある。
「どうしてあれだけ多くの人びとが無抵抗に殺されてしまったののですか」
納得のいく答えは返ってこなかった。疑問はくすぶり続けた。機会があったら現地に行ってみよう。そう思っていた。
わずか1ヶ月弱の滞在では、理解できる事には限りがある。だが最低限、あの時代は何だったのか、現場の空気を吸いながら、何かヒントを得たかった。
現地で援助活動を続ける日本人宅に身を寄せた。そこで偶然、W・バーチェット著『カンボジア現代史』を手にする。
「必然的に・・・300万以上ものカンボジア人がなされるまま受動的に死に至ったと考えるのは明らかにまちがいである」
人々は無抵抗のままに殺された訳ではなかった。抵抗した人たちはやはりいた。だからこそあれだけの拷問があったのかもしれない。加害者と被害者がいまだに同居する、ジレンマ国カンボジアは回復途上。
どこの国でも、歴史検証は難しい作業。被害者だと思っていたら、加害者になるかもしれない。検証しようとしたら、後世に残っていたのは、時の政府中心の「強者の歴史」では話にならない。
髑髏の眼窩をのぞき込む。この人たちはどんな歴史を残して欲しかったのか。物言わぬ証言者たちからは、想像を膨らませるしかない。
|