|
米国東部ボストンに滞在中の97年9月、ジェームズ・ナックウェイ氏の写真展に足を運んだ。ナックウェイ氏は現在、世界で最も優れているフォトジャーナリストのひとりとの評価を受けている。彼の写したイメージを、ひとつひとつじっくりと見た。身体と頭が熱くなる。何かに感動して身体が熱くなったのは初めての経験だった。9月ともなると、ボストンは寒く、写真展の会場の外の空気は冷たい。帰り道、体が火照った私は、半袖になってしまい、道行く人が私を振り返っていた。私は感動していた。こんな写真が撮れるのか、と。その時、写真の持つ力を感じた。
ナックウェイ氏は、「私たちは世界を変える力がある」と言い切る。彼の写真は私に、写真を撮ることへの自信を与えてくれた。写真は人を感動させることができると証明してくれた。彼の言う、「社会を変える」とは、具体的には何を指すか分からないが、最低限、彼の写真は私を動かした。
1970年代、フリーの報道写真家の活動は全盛期を迎えた。それは、フォトジャーナリズム界をリードしていた米国がベトナム戦争に関わっていたからだ。現在も世界中で紛争は起きており、米国はNATO軍の名のもと、いわゆるコソボ紛争に介入した。しかし、今の写真は、ベトナム戦争当時ほどの力を持っていない。当たり前だ。テレビはもちろんのこと、衛星放送、インターネットを使って、現地の様子がリアルタイムで伝えられているからだ。このことは、もう言い尽くされている。
写真の役割の相対的な低下は、時代の流れとして当然だ。だから、「70年代の頃が良かった、あのころに戻りたい、あのころに生まれていたら」と思うのは、それこそ、ないものねだりである。フォトジャーナリストは今、自分の生きている時代はどうなのか、そのことを考え、未来を見据えなければならないと思う。過去の写真の栄光の時代ばかりを見つめていては何も進まない。時代を見据える眼、視点があれば、写真は生き残ることができると思う。
バブルのはじけた90年代初め、私はフォトジャーナリストという仕事に就いた。その時から、この状況 ─ なかなか発表の場が確保されない─が当たり前だった。しかしこの数年、写真を発表する場としての雑誌を取り巻く状況はさらに悪くなっている。
写真を学んだ米国から帰国後、初めて雑誌に作品を発表したのは94年、昨年の秋休刊した『アサヒグラフ』であった。また、92年にエルサルバドルの停戦取材をした作品は95年、『太陽』誌上(今年12月号で休刊)の「太陽賞」の最終候補に残った。写真を中心に仕事を始めた私にとって、両誌ほどに大きく写真を扱ってきた雑誌がなくなってしまうのは、どうも寂しい気がしてならない。発表した作品を米国の友人に見せると、「インパクトがあるなぁ」との反応が返ってきていた。時代の変化は仕方がないとは言え、やはり紙媒体での発表機会の減少はやりきれない。
写真を学び始めて今年でちょうど10年たった。フォトジャーナリストとして仕事を始めてわずか9年目、37歳の私が何を言えるのか。私なりにフォトジャーナリズムとは、フォトジャーナリストの仕事とは、ということを考えてみた。
"私の事実"を伝える道具
写真を取り巻く時代や社会状況は変わろうとも、写す対象はいつも目の前にある。記録すべき対象は目の前にあるのだ。私の尊敬するフォトジャーナリストのひとり、セバスチャン・サルガドは言う。
「ジャーナリズムが存在する限り、フォトジャーナリズムも存在し続ける」、と。
写真は、写しとられたイメージに説得力がある限り、伝えるという役割を持ち続けるということだ。私自身、写真だけに固執するのは、ジャーナリストとして失格かも知れない。
映像の時代だからといっても、文字がなくなるわけではない。ペンを持つ者は文学や俳句で人を感動させる。ようはその道具をいかに使いこなすか。各々のジャーナリストの力量が今こそ問われているのではないか。
ビデオには手を出さない私だが、インターネットを使って自分の取材結果を発表している(http://www.uzo.net/)。10月のアクセス数は、1ヶ月間で約40万ヒットを記録し、世界中の30か国近い国からアクセスがあった。雑誌だけに頼っていたら、やる気も失せてしまうが、インターネット上で、写真を使っての発表に手応えを感じている。
確かに、発表メディアは多様になった。しかし、ジャーナリストが伝えなければならない核心は、依然として変わらずに存在し続けている。それは、ヒューマニズムであると私は思う。写真に限らず、ジャーナリストたちは多様多様な表現手段と媒体で、それを表すべきだと思う。
内戦や貧困の写真ばかり撮って、果たして現状が変わるのか。そう聞かれることがある。私は、何か特定の分野で気に入られるために写真を撮っているわけではない。逆に、私は「そういうあなたは何をしているのか」、と問いたい。行動することをせず、評論だけに力を注ぐ人を相手にしない。ジャーナリストとして、精一杯創作活動に専念しておれば、そういう言葉は、発することがまずできないはず。
報道写真は古い。そういう人もいる。何を基準にして古いというのか。写真という事実の捉える形態が古いのか? そういう人は果たして現場に出て、徹底的に写真を撮る努力、発表の努力をしたのか。
時代が変われば写真としての表現方法は変わり、見る人の受け取り方も変わる。しかし、ヒューマニズム溢れる写真、人の生き方を捉えた写真は、必ず見る人の「ココロ」を捉えると、私は信じる。
誰もが手軽に表現手段を持った現代、写真が必ずしも事実を写さないということを人々は知っている。写真は客観的ではあり得ない、ということも周知の通りだ。じゃあ写真は今後、どういう役割を果たすのか。
カメラは道具である。ペンやビデオ、インターネットと同じように。何かを訴える、表現する道具に過ぎない。しかし写真でしか表現できないものは必ず存在する。
ジャーナリストとしての私が、なぜ写真という媒体を主体的に選ぶのか。その意図をはっきりと把握しておかなければならない。それは、文章やビデオを否定することではない。私にとっての写真は、その道具が一番しっくりするからだ。現場に立って、被写体(人・モノ・自然)、そして自分と一番密接に関わることができるからだ。
また、フォトジャーナリストが被写体を主体的に選ぶとはどういうことなのだろうか。それは、カメラを持ち、現場に出て初めて答えが出てくるのだ。写真にしか出せないものは何かをきちんと認識することだ。
何をどのようにして他の人と共有するのか。どのように人とつながるのか。言葉、時間、歴史、地域、性、人種をこえる作品をどうやって生み出していくのか。
テレビによるイメージの標準化の時代に、写真はそれにどう対抗できるか。今の写真は、コミュニケーションツールというよりもアートに近くなっている現状もきちんと認識しておかなければならない。
自分の見る事実を表現するのに、道具がたくさんあってもいいと思う。私には"私の事実"を伝えるのに写真が一番合っている。そして、一番効果的に伝えやすい。事実を伝える道具としての写真。写真は一瞬を切りとる芸術だ。たとえ、古くさいといわれようが、今後若い世代に写真の素晴らしさを引き継げるようにしておきたい。
自分の撮る被写体を、自分の視点で追い続けることにも価値がある。自分の視点とは、時代を見る眼。社会状況を分析する眼であり、独自の判断が必要である。ニュースにならなくても、マーケットに乗らなくても撮り続けなければならない。
「時代の表現者」として
私が今望むのは、いい写真編集者に巡り会いたいということだ。活字人間ではない写真編集者に会いたい。それは、実現しないかも知れない。もしかしたら一生会えないかも知れない。しかし、万一、そうなった時のために今は現場に行き、いつでも提示できる写真を撮り続けるしかない。編集者と現場を撮る写真家の二人三脚で、世に問う写真はできないものか。
報道写真には、「悲惨な部分ばかりじゃなく、もっと違った部分がある」と言われる。「楽しい部分もあるだろう」と言われる。確かにあるだろう。だからといって、本当に伝えなければならない部分がそのことによって伝えられないようでは納得いかない。声なき人々は存在してきたし、今後も存在し続ける。技術革新により、インターネットの力を借りて、自らの声を自分の生活する場から発表し始めている人も出てきた。しかし、まだ、それは少数派であり、誰もが同じことをできるわけではない。
現在、写真家がメッセージを伝えるという傾向は弱くなってきた。カメラという機械で、その状況を切り取るだけ。なんとなく、見る人の感受性に訴えるような写真が多い。何を言っているのか、私にはわからないイメージも多い。
現場に行って、自分の感受性に合致する状況や現象を写し込むだけの撮影だろう。または、編集部や雑誌の企画意図に従って動くだけ。そこには、写真家自身の新奇さオリジナリティーは排除される傾向にある。現場に入る前に考えられたルールや制作意図に従ってのみ、写真は「作られる」。そういう「作られる」現場では、時間的な制約も厳しいだろう。
撮影者が「あっ」と感じる余裕がないのだろう。だから見ている側も「はっ」とさせられないのだ。読者を説得できないのだ。また、どうしたら売れるか、そのことが優先される。どうしたら写真が影響力を持つのかという発想は、そこにはない。
写真を撮る現場に立つと、事実を伝えたいという使命が私の背中を押す。事実を記録したいという思いが強くなる。現場に出ずに頭でっかちなヤツほどすぐに、「じゃあ、事実とはなんだ」と言いたがる。私はそういうヤツには耳を貸さない。
現場に立つということは、時代を記録しているということだと肝に銘じておきたい。時代の表現者だという気概も持っていたい。取材に入る前に、すでに頭の中で撮影場面を完結させるようなことは避けたい。
現場に行けば行くほど、期待を裏切られ、新しい発見がある。だからこそ、それを伝えたいという意識が強くなり、記録しておかなければならないという使命感が出てくるのだ。
その写したイメージは、写したその瞬間から、時間がたてばたつほど、存在価値を持つ写真でありたい。しかし、それに応えるには力量不足を常に痛感せざるを得ないのもまた事実だ。
そう考えるとフォトジャーナリストは、日本の写真雑誌という狭い世界、いや写真界だけにとどまっていてはダメだと思う。そのためには目の前の現実を写しながら、その写真で世界を見渡すということが改めて必要だと思う。
しかし、いくら「時代の表現者」と大きなことを言ったとしても、フリーフォトジャーナリストとしての私にも目の前の生活がある。悔しいけれど現実は厳しい。果たして、フリーの写真家は生業として成り立つのか。否。そう言わざるを得ない現実がある。しかし、生活を成り立たせることを優先するために撮った写真は、受け手の共感を得られるだろうか。流行、あるいは時流に乗った写真を主にしていて、人の「ココロ」を捉えられるだろうか。見栄えの良い写真は撮れるかも知れない。しかし、撮り手の私の意識は死んでいたらどうなる。死んだ私の写真が生気を放つはずはない、と信じて、私は気骨ある写真編集者と出会えるまで、私のイメージを「時代の表現者」として撮り続けたい。
|