フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2001/05/29 第6号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
取材の中で、日々の生活の中で感じたことを書き綴ります。
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■第6号■

「いきること、つくること」

我々はただ単に、「生きる」だけでは満足しないのである。 生きてから死ぬまでの間に、生きた軌跡を「つくる」ことに励むのである。 家族をつくる。仕事で何かをつくり上げる、成し遂げる。人間関係つくる。 それは、それは、いろんな、また、どんな形があってもよい。

ところで、写真で何を「つくる」のか。
表現をしたいのか。それとも、何かを伝えたいのか。
あるいは、全く別な次元の問題なのか。

一体全体、自分は何をつくりたいのか。

その答えを求めはじめると、私みたいな凡人は、そこで右往左往してしまう。まあ、とりあえず、何かをしなければ、何も始まらないということだ ろう。そうやって動き続けた結果、今の自分がある。

そこで、その動くためのヒントを、行動しながら考え、時には立ち止まり、 同時進行的に獲得してきた。そのヒントとは、「どこまで自分自身を知っ ているか」ということだ。

「何がやりたいのか分からないんです。どうしたらいいのですか」 今、この仕事をしていて、そう問われることがよくある。

私自身、確かに好きなことを生業(なりわい)とし、それだけに全エネルギーを注いでいるのは事実だ。しかし、私に対するこのような問いかけは、 あたかも私が自分のしたいことを、いとも簡単に見つけたような質問のよ うに思える。
これは困ったことだ。

私は、自分なりに苦しんだし、過去諦めたことや、現在も諦めていることはたくさんある。やりたいことが、棚ぼた的に出現したわけではないのだ よ。

「では、やりたいことを、どうやって見つけたんですか」 あのね、そんなに簡単に質問されても困るのである。

いつも、「本当に今やってるのことは、これでいいのか」という疑問をどこかに持っているのだから、ね。

「人生には目的があり、それに向かって努力しながら生きていく生き方が、 あなたの人生にとってもっとも重要なことなんですか」
そう問い返してみると、質問者は黙ってしまうことが多い。

なぜ黙ってしまうのか。
自分独特のやり方で、「考える方法」を身につけていないからである。 答えを他に求めた時点で、自動的に思考停止に陥っているのである。あるいは、目的を持って生きるということを、必然的に「しんどい」と本能的に感じとっているかもしれない。

自己に対する、自分への問いかけへの答えは、簡単に出てこない。
本を読んでも、映画に感動しても、人の話を聞いても、程度の差はあれ、 ほとんど参考にならない。本当にココロからその答えを望むならば、自己 との対話をする覚悟を、まずしなければならない。

何ができて、何ができないのか、一人で自分に向き合い、正直になること ができれば、答えは自ずと出てくるのはずである。
じっくりと考えることが必要なのである。
自分は何ものか、と。

言い訳だけの人生を続けるならば別だが、忙しい、時間がない、という理由はここではあり得ない。
「元気になったら、暇になったら、状況がよくなったら」
言い訳ばかりなり。
状況はよくならない方が、実は多いのだ。

で、考えてみよう。
何が嫌いで、何が好きなのか、とも。
その理由も、とことん考えるのである。

虚栄心、嫉妬心、怠け心、あるいは優しい心、いろんな心をもった自分を 見つけることができると思う。他の人はごまかせても、自分を騙すことは できない。

ポイントは、正直になる自分をどこまで追求できるか、である。

私が思うには、孤独と向かい合う覚悟をすることである。
誰も助けてくれないのだ。一人っきりだよ。
生まれたときも、死ぬときも一人なんだよ、と。

孤独を恐れることなかれ。

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「その人のその人生が孤独なものであったのかどうか、誰がはかり知るこ とができるだろう」(落合恵子「午後の居場所で」『朝日新聞』大阪本社 版朝刊1999年12月15日水)

「人間は、本当の自分の姿と向き合って、考えないといけないし、苦しまないといけないと思う。そのために、孤独は必要だ」(中坊公平「金ではなく鉄として」『朝日新聞』大阪本社版朝刊2000年8月28日月)

「人生で最後に頼りになるのは自分だけ。つきつめて行けば、人間の精神 生活というのは、他から切り離された孤独の世界だ」(板坂元『何を書く か、どう書くか』PHP文庫)

「人間の生はそもそも『根本的な孤独』なのであって、愛はこの『二つの 孤独を一つに融合しようという試み』なのであるから、愛はまず互いの心 の世界を知ること、理解することへの努力から出発すべきものなのであろ う」(神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房)
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おそらくこの他にも、「孤独」ということがらに関しての切り抜きや、傍 線を引いた本が、私自身のファイルボックスの中にはたくさんあると思う。

ここで自分が何者か分かれば、自ずと見えてくる事があるだろう。 「あれ、私のこの答えや思考方法は、どのようにして形作られたのであろ うか」と。

一体、自分の「考え方」はどうやって形作られてきたのであろうか。その ことを冷静に見つめることも必要である。
親、兄弟姉妹、あるいはそれ以外の家族関係、友人関係、さらに毎日の生活環境からどんな影響を受けてきたのか。

悔しくてどうしようもないことがあることに気づくだろう。
「もし、・・・なら」と幾度となく思ったこともあるだろう。
ないものねだりだと分かっていても、求めざるを得ないことも多々あった だろう。
そういう考えは事実として存在しているのだから、思ってはいけないとか、 考えてはいけないと、簡単に否定してはいけない。

素直に見つめ直すのである。
すると、気づくであろう。自分は何者であるか。
また、自分の力では、あるいは人として個人の力ではどうあがいてもかなわぬ事柄が存在するのである。
傷ついた自分も素直に受け入れるのである。

時代・社会・性差・家族・身体的特徴など変えようのない、自分で選ぶことはできない厳しい現実がそこにある。それを悔やんでも、恨んでもどう しようもない。それこそ、エネルギーの無駄である。
自分の力ではどうにもならない、不条理な体験を経てきた事もあるだろう。

人の力ではどうしようもない事が存在しているだよ、世の中というのは。
でも、できることはあるのだ。

それに冷静に対峙し、では、自分はどうするのか、と自分に問いかけた時 に始めて、自分の人生は始まるのである。
どういう役割を自分に振り分けるか、そこで自己決定できるからである。 もう、状況の言い訳は成り立たない。

そこで新しい自分を作り始めるのである。
実は、孤独になって、自己と向き合うのに、写真はうまく使えるのだ。 あとは、その方法をそれぞれのやり方で、見つけるだけである。

写真を撮るとは、ビジュアル面で、新しい新しい自分を「つくる」という という作業でもある。目の前にある現象を自分のフィルターを通して、言 い換えるという作業でもある。

そのフィルターはいったい何なのか。
どんなフィルターを持っているのか。
ここまで考えれば、自分のフィルターがなんなのか、ぼんやりと分かるであろう。あるいは、そのヒントをつかむことができるであろう。

右から左へ情報を受け渡して、何かを伝えるということ。
それは技術的に、誰でもできるだろう。
しかしである、意識的に自分のフィルターを通すということは、ちょっとやっかいなことである。

何もないところから、何かを生み出すのは、私みたいな人間には不可能な ことである。何もないところからは何も生まれないからである。
結局、私も誰かが作りだしたモノを利用することになる。

だからこそ、生まれたときから情報があり溢れている今、この時代を生き る私は、果たしてどんな情報に影響されてきたのか。じっくり考えてみる。 何を、どんな「情報」をどのように利用しようかな、と。

特に、写真を撮る場合にはどんなビジュアル的な影響を受けてきたのか、 毎日の生活レベルで、神経質なほど気をつけている。

そこから、借り物ではない、語るべき自分はどうやって出るのか、出そう と努力しているのか。自分はどこからそれを修得してきたのか。
そう考えると、毎日がしんどいことである。

でも今は、自分にはできることがある。そう信じるしかない。

繰り返しになるが、我々はただ単に、「生きる」だけでは満足しないので ある。生きてから死ぬまでの間に、生きた軌跡を「つくる」ことに励むの である。

そして今、私の頭を悩ましているのは、「愛」という言葉の存在だ。私の考える「愛」とは、この私の考える「生きる」と全く整合性がないのだ。 故に、私には愛はない、と結論づけている。
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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感想は宇田有三(info@uzo.net)まで
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