フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2002/04/15 第23号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
取材の中で、日々の生活の中で感じたことを書き綴ります。
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■第23号■

「フリーランスが『編集者』と仕事をする時」

トゥルルルル。

甲高い電子音でドキッとした。夜11時前、「カサカサ」とファックスが受信を始めた。何だ!と思って、紙の排出をじっと見る。おお、来きたか。来週から始まる新聞連載のゲラ刷りだった。

レイアウトが上がってきたんだな。久しぶりにワクワクする。今回は、週刊誌や月刊誌とは違った、いつも以上のドキドキ感であった。

フリーランスとして仕事をする私の場合、つね日頃から、取材企画を編集者と相談しながら仕事を進めることは少ない。発表という部分の仕事は、自分の興味・関心を中心に取材した結果だからだ。

発表物のほとんどは、ほぼ出来上がりの写真と文を持ち込んだ結果である。写真編集や文章の展開も、とりあえずおおまかに、自分の発表したい方向性で組み立て済みのモノである。

ある雑誌などは、本来は編集部が責任分担であるレイアウトからリードまで書いてしまったりする。それゆえ、校正ゲラが上がってくる段階で、どのように印刷があがってくるのか、大体想像できるのである。

まあそれは、完全に出来上がりの状態で取材結果を持ち込む場合が多いからだ。しかし、雑誌には雑誌の、新聞には新聞の、それぞれの独自の性格がある。それゆえ、発表がうまくいかないことも多くある。

今日も一つ、東京の雑誌編集部から、「企画の提案ありがとうございました。しかし、・・・」、と、断りの返事が返ってきた。編集長自ら、丁寧な返事が添えられていた。

なぜ、私の提案を受け入れることが出来なかったか、詳しい説明つきであった。単に、企画が悪いのではなく、やはり雑誌の性格にあわなかったと。正直、こういうやりとりは、疲れる。

誌(紙)面は、単に取材者が作るのではなく、取材者と編集者の共同作業である。紙(誌)面作りでは、編集者による助言や批評が大いに参考になる。もちろんそうだ。それが正論である。

発表物では、取材者や執筆者の名前だけが表に出るが、実は、そうではない。作品は、編集者との共同作品という性格を多分に持つのである。しかし、私は滅多にそういう共同の仕事をあまりしてこなかった。

取材者として、現場を伝えるのは「これでええんや」という、現場至上主義に立ってしまうことがある。私の場合はどうやら、常に被写体や取材対象が目の前にちらついて、先走ってしまう。

どうもいかんな、と思うことも多々ある。きちんとした発表を目指すとしたら、本当は、それではダメなのかもしれない。

あるグラフ誌の仕事で1994年、F編集者と知り合いになることがあった。その時も、企画ではなく、独自取材結果の掲載持ち込みだった。レイアウトや誌面展開に関して、自分のリクエストを、一応は出した。

しかし、ゲラで上がってきたトップの写真は、私の予期していたイメージではなかった。なんか釈然としなかったが、取材者として、あるいは持ち込みの経験もほとんどなかったため、我を張らず、Fさんの言うとおりにして、印刷の出来上がりを待った。

果たして、想像以上の立派な出来上がりだった。自分が予期していたよりも良い仕上がりだった。ちょっと悔しかったが、思った以上の出来上がりで、喜びの方が上回っていた。口には出せなかったが、Fさんに感謝した。

それから2年後、再びエルサルバドルで取材した結果を持ち込んだ。再びFさんが対応してくれた。その時も、この写真がトップだろうと決めつつ、誌面候補になるポジを40枚ほど送った。

思うところがあって、東京の編集部には滅多に足を運んでいなかった。もっぱら電話とファックスと宅急便(今はそれにメールが加わる)で仕事をしていた。編集者と直接顔合わせをしながら仕事をすることは、ほとんどなかった。

Fさんから「いや、見開きはこれでしょう」、という返事が返ってきた。その時もFさんは、私が選んだのと違うイメージを写真を選んだ。前回のことがあったので、私は自分の考えを抑えた。

やはり、その選択は正しかった。白黒のファックスのゲラ刷りが上がってきたのを見て、それだけで分かった。Fさんの判断は的確であった。さらに、実際にカラー誌面の仕上がりを見て、またもや唸った。

想像以上の出来だった。Fさんは写真編集者としてプロであった。実際会ったのは数回だけだった。

もし、あのグラフ誌がまだ残っていたら、今なら直接、真っ先に取材結果を持っていきたい人である。

あれから8年。確かに、優秀な編集者とは多く出会った。頭が下がるくらいの編集者は多かった。しかし写真編集で、Fさんのように、こちらがたじろぐような写真編集者に会ったことはない。

そういう印象は、一つには、写真を大きく扱うグラフ誌がなくなったせいかもしれない。きっとそのせいかもしれないなあ。

ちょっと前になるのだが、いい写真編集者と仕事をしたい、という一文を
『総合ジャーナリズム研究』という専門?雑誌に書いたことがある。
http://www.geocities.jp/vnr1996/pjournalism/pjournalism.html
 ("VietNum Review" のページ。はっきり言って、私のページよりも
 すっきした出来映えです)
http://www.uzo.net/essay/esy_txt/jour2001.htm
 (↑ ちょっと眠気を誘う、私のページ)

この4月からの新聞連載は、いままでの雑誌と違って、タイトルつけや文章構成について、担当者の編集者(Kデスク)とじっくり話をした。それゆえ、出来上がりが、少々楽しみになっている。

特に、新聞のコラム場合はスペースが限られているので、文字数を思った以上に削らなければならない。じつは、文章を書く上で、私はそういう訓練を私はしてきていない。だから、いつも苦しむ。

Kデスクには、いつもばっさりと文章を削られてしまう。でも、「う〜ん、いい具合に削りよるな・・・」っていつも感心させられる。プロやな、と。(もちろんそれでメシを食ってきた人だから当然か)

今回も、先進国=悪者、途上国=良者といった自分の必要以上の思い入れを指摘されたようだ。また、今回、連載の舞台となる「ごみ捨て場」という、まさにそのキーワードは記述しない方がいい、との指摘もあった。

思っても見なかった指摘だった。読者の存在を想定した上での書き方だった。自分が全く想像していなかった表現方法に、ちょいと唸ってしまった。自分の発想とは違う考え方に触れると、いつも新鮮な気持ちになる。

いい編集者は、文字であれ、写真であれ、的確なアドバイスをしてくれる。嬉しい限りだ。そう、時に思い上がりや独りよがりを、自然な感じで気づかせてくれる編集者の存在は必要だなと、時には、謙虚になって思うのである。
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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感想は宇田有三(info@uzo.net)まで
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