フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2002/06/21 第27号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
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■第27号■

「思いをよせる限界点」

今年の初めだったか、スポーツ関係のTV番組を見ていた。まだプロ野球開幕前のことだったと思う。(最近、記憶がいつもおぼろげだ)

その時の話題は、相も変わらず、プロ野球といえば読売ジャイアンツが中心だった。(それにしても「巨人軍」の「軍」という名称は嫌いだな)

また、巨人か、と思っていたが、まあ、巨人の中でも許せるキャラクターの清原選手の名前が出たので、チャンネルを変えるのをやめた。

巨人の選手たちは、どこかの神社に優勝祈願に詣でた後、それぞれ個人的な目標を絵馬に書いていた。

清原氏以外の選手はほとんど、「優勝」という文字だけを書き綴っていた(と記憶している)。しかし、清原選手だけは違った。「優勝」という以外に、その絵馬に「世界平和」と書いていた。

そのことを紹介したTV番組のスタジオに、笑いが起こった。

冷静に考えてみると、番組の内容から推察するに、その絵馬のエピソードは、半ばやらせっぽい印象を受けた。しかし、本当に清原選手が「世界平和」と書いていたとして、それを笑いものにしていた人たちはいったい何者なのか。

清原氏はそういうことをしてはいけないのか。あくまでも豪放磊落の「親分」っぽく振る舞わねばならないのか。見る側はいつも、そんなイメージを勝手に創り上げているのか。怖いな、と思った。

また、笑いを取るために、番組のディレクターがそのようなシナリオを考えたとしたら、そのディレクターはいったい何を考えているのだろうか。「世界平和」を願う。それを口に出してはダメなのか。

自分の以外のことに思いを馳せることは、そんなに恥ずかしいことなのか。そちらも怖いと思った。

ちょっと昔のことを思い出した。大学当時、つきあっていた人(Aさん)がいた。デートは毎回、ドキドキしていた。私の方が入れ込んでいたといってもいいだろう。

正直言って、私には、もったいないくらいの人だった。今思っても、純な恋だった。

交際を始めてあまり月日がたたないうちに正月を迎えた。2人で神戸の生田神社に初詣に行った。楽しかったし、嬉しかった。人づき合いの良くない自分(これに異論を挟む人がいるかも知れないが)も誰かと一緒に時を共有できる異性がいるのだ。そう思うと、感極まった。

柏手を打って、祈った。「彼女とうまくつきあえますように」と。頭に一番最初に浮かんだのは、もちろん、目の前の人のことだった。

Aさんに聞いてみた。「何、祈ったの?」と。

当然、自分のことを言ってくれるものだと、勝手に思っていた。が返事は違っていた。

「世界が平和でありますように」と、ね。

Aさんは、照れもなく、真面目な顔でそう答えた。あれ?何か違うぞ、この人は。

驚きだった。大体、普通(と、その時は思っていた)、神仏に願うのは自分の利益や自分の身近な家族や友人ことではないのか。しかし、そうでない人もいるのだ。

その一言はその時、20数年間生きてきた自分の価値観を、ちょっと揺り動かした。

自分に直接関わらない事柄にどこまで想像力を働かせることができるか。目の前にいない人にどこまで思いを寄せることができるのか、自分の生き方をちょっと考えさせられた。

中米のグアテマラは冷戦時代、凄まじい内戦を経験した。今も事実上の軍事国家である。当時、一番の被害を受けたのは女性と子どもで出会った。

「その年7月のフィンカ・サンフランシスコ虐殺を生き延びた証人たちは軍による300人にのぼる村人の虐殺の手口、火をつけられた家の中で強姦されたあと、銃殺されたり焼き殺されたりした女たち、鎌で切り裂かれた老人たち、内蔵を抉り取られた子どもたちについて語っている。

最後に殺された2、3歳の子どもは、身体を切られて泣きやまなかったので、兵士は太いこん棒で頭を殴り、力いっぱい『木の幹に叩きつけた』。そのため、子どもの頭蓋骨が『裂けて、開いた』という」(pp.286「解説」ノーム・チョムスキー、ジェニファー・ハーバリー『勇気の架け橋』、解放出版社、1992年)

一昨年だったろうか、このグアテマラの内戦を生きぬいた女性数名が来日し、各地で証言会を開いた。それに出席した者は例外なく、ショックを受けたという。

しかし、そのような驚きも、日々の忙しさに紛れて忘れてしまうのが常である。でないと、重たいモノを引きずっては日常生活できないからだ。

しかし、知り合いのBさんは後日、仕事中にその内容を思い出し、思わず声を出して泣き出したそうだ。それも、職場の机の上でだ。

Bさんは、ただ単に勉強会として参加したのではなかった。まるで、自分の身に起こったかのように悲しみや苦しみを共にしていた。そのことを聞いて、やはり、自分中心の生き方を考えなおさざるを得なかった。

と、同時にそのような、人間としての感覚を正直に表に出せるBさんが羨ましかった。

自分自身は、感情を殺しすぎているのかもしれない。自分の中の人間的な部分を抑え過ぎてきた。何が、そのように人間を壊していくのだろうか。

常に追われる感覚をもっている。なぜだか、あっという間に月日は過ぎる。毎日忙しくすごしてそれなりに成果を残しているつもりなのに、実は、何も残らない日々。

何を目指して毎日生きているのか。異常に肥大した経済効率中心の社会に暮らしている弊害か。

金儲けには無関係のモノ・物・者は、切り捨てていこうとする冷酷な社会。だから、見も知らぬ他人・社会・土地には関わってはおれぬという傾向。今、はやりの環境問題も、人間が今後生きにくくなるから話題にのぼり始めた。なんか釈然としない。

器用な人間ならば、自分の生活を維持しつつ、自分を取り巻く社会と上手に関わり合いながら生活していくことができるであろう。しかし、わが身を振り返ると、それは当てはまらない。

自分というひとりの人間を考えてみる。家族関係を考えてみる。友人関係を考えてみる。仕事関係の人を考えてみる。それ以外でつき合う人のことを考えてみる。

具体的に顔の見える人を想像できるのはそのくらいかな。そこで、まず大切にするのは、本当に身近な人たちである。だからだろうか、人と人との関係が希薄になるにつれ、自分を中心とする身近な人たちを、異常なくらい大切にする傾向があるように感じる。

この、自分を取り巻くモノへの、過度の思い入れは際限がない。他者とは遠くになるにつれ、抽象的な存在でしかすぎなくなるのか。それも仕方ないことなのか。

「自分の幸せはそれほど重要ではない」。そう言うと、嫌な顔をされる。自分が幸せでないのに、どうして他の人を幸せにできる?と言われる。

不幸な人は、不幸を伝染させるだけとちゃう?、とも言われる。やっぱり、そうかな。

だからかな、自分は、家族や家庭生活とは無縁の人間関係を追求してしまう。他の人に思いを馳せたい。そういう生き方を選ぶなら、自分や自分の身近な人物の事を最優先させる状況作りをしない方がいい。そう考えてしまう。それは、やっぱり極論かな?

孤高を求める。だから、対人関係、とくに異性関係には、どんなに深い間柄であっても、必ず、一線を引く。安心できる関係を、積極的に作らない。

いつも不安の宙ぶらりん。

人間は、自分の関心事しか見えなくなるし、見たいようにしか見えてこなくなる−それも自分を中心にして。それを避けるため、愛しい関係を拒否する。それは間違いなのか?

寂しい、苦しい。誰もが同じだが、ついつい自分一人が不幸を背負ったような感覚に襲われる。

他の誰しも、感情を持っているだよ。そう考えても、それでも自分を捨てることができない。

「ひとりの少女が自分のために全身で泣いている。そんなことってあるのだろうか。一度だって他人から涙をこぼされたことのないキヨシ少年だった」(灰谷健次郎『太陽の子』p.199、新潮文庫)

最近、全く見も知らぬ人を思って泣いたこと、悲しんだことはあっただろうか。涙は、いつも自分とそれに関わる人にだけだったのでは。

しかし、である、たとえその思いを寄せる想像力があったとしても、おのずと限界があるのではなかろうか。そう思うのは哀しい限りかな。

「つらいめにあった者は、つあらいめにあっている者の心がよくわかる。どんなにやさしい心があっても、つらいめにあったこのとのない人間は、つらいめにあっている人間の心の中にまで入ることはできないのだ」 (同著、p.238)

厳しい指摘だ。

初詣で「世界の幸せ」を願ったAさん、グアテマラの人に思いを寄せたBさん、つらい目にあった人なのか。それとも優しい心の持ち主なのか。私にはそれを確認する強さはない。
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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