フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2002/07/19 第28号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
取材の中で、日々の生活の中で感じたことを書き綴ります。
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■第28号■

「親への思い、それぞれ」

7月に予定していた中米取材が、キャンセルとなった。この3年ばかり現地に足を運んでいなかったから、すっかり忘れていた。中米は思ったより遠かったのだ、と。

予算と日程が過密で、思うような取材は無理だ。それに3週間の滞在では、取材費を回収できないことは目に見えている。

日本〜サンフランシスコが4万円、サンフランシスコ〜グアテマラが8万円。これは、どうも釈然としない。

まあ、中米行きは競争がないから、飛行機会社も殿様商売しとるわけだ。アメリカ合州国のすぐ南の中米が、ブラジル・サンパウロへ飛ぶよりも高いんだから。

ああ、愛しのラテンアメリカよ! 次の訪問はいつになるのだろうか。

中米取材を「ニンジン」に、気合いを入れつつ6月まで仕事をしていたの で、完全に気が抜けてしまった。

ちょっと落ち込んだ。

また、別件で身の回りが想像以上に急展開し始め(といっても、自分で「超高速回転」させたのだが・・・)、ちょっと精神的に鬱屈する羽目になった。なにやら、出口のないトンネルに入った気持ちだ。

ココロを落ち着けて考えた。まず、気分転換が必要だ、と。

天気の良かった先週の日曜日、一冊の本と自家製のアイスコーヒーを持って、近くの公園へぶらりと足を運んだ。海が目の前の人工公園だ。家族連れやカップルも大勢いた。

太陽は燦々と照っている。眩し過ぎるくらいだ。偏光ガラスを入れた眼鏡のレンズは、すぐに真っ黒になった。

一緒に持っていった本は、在日朝鮮人の姿を描いた本田靖晴氏の『私たちのオモニ』である。何の気なしに読み続けていく。登場人物の説明で、ちょっと気になる部分があった。

「栄児さんは1924年(大正13)年、済州島で・・・。父は農家の出であったが・・・。」

父と娘を中心に話は展開していく。で、私は何が気になったのだろうか。
この親子の関係だろうか。よく分からなかった。

また、出てきた。大正11年、大正8年。どうやら、大正という時代にひっかかるようだ。

そうか、自分の父親だった人物の存在が脳裏をかすめたのだ。確か、「あの人」は大正15年生まれだったなあ。

『私たちのオモニ』の最後の部分に、こうあった−「処女作である『海を渡った朝鮮人海女』が出版されて、思いがけない山川菊賞を受賞したとき、栄さんは、やっとこれでアボジ(父)をうんといわせた、という思いが心のどこかにあった。

だが、手放しで喜び、生まれて初めてほめ言葉をかけてくれたアボジに接して、うろたえる。ずっと自分の前に立ちはだかり、のしかかる威圧感を与えつづけていた父親像が、にわかにしぼんでしまったように感じたからである。」−

なにやら羨ましい記述である。

自分自身を振り返ってみる。最後に父親に会ったのは18歳の時だったかな。それも、よく覚えていない。何かの時に、「もう鬼籍に入っているはずだ」と聞いたことがある。

わが父親は、どこで、どうやって、何歳でその最後を迎えたのか。それを、知らない。墓があるのかどうか。それも知らない。今、自分の父親のことを想っても、まったく乾いた感想しか出てこない。

悲しみも、憎しみも、懐かしさも、何もない。私は冷たいのだろうか。

これは考える必要があるかも知れない。ふと、本を置いて、宙を見つめる。答えなどあるはずがない。感傷に浸ろうと演技しようとする自分を嗤ってしまう。

目の前を、笑顔いっぱいの親子連れが通り過ぎた。そのすぐあとを、手をからませながら顔を寄せ合うカップルが続いた。みんな愛し合って、家族を持っていく。それが今の社会では、真っ当なのか。

先日、しばらく会っていなかった友人Aと再会した。まずは近況の交換が続く。とりとめのない話しをしている中で、ふとAが遠距離恋愛をしているという話になった。

まあ、今時、遠距離恋愛は特に珍しいわけではない。別の知り合いのカップルは、結婚した後も、お互いのそれぞれの意志や生き方を尊重するために遠距離で別居生活を続けている。

その二人に私は、「まともな愛情ある関係を保とうと思ったら、一緒に暮らしてなんぼのもんやで」、と黴(かび)臭い説教までしていた。

私が愛情を語るなんて、地球の自転が止まってしまうかもしれない。これは、嗤える。

まあ、Aも私と同じように、経済的には結構不安定な生活を続けている。Aは今後、どうやっていくのだろうか。今は「丸く」なったとはいえ、私同様に頑固な生き方をしてきた奴だから、ちょいと心配している。

「おまえ、どうすんねん、これから? ちゃんとした定収入のある仕事に就いた方がええんとちゃうか」。もっとも、私に心配されることは、それだけで、はた迷惑かもしれない。

まあ、今は浮かれているから、そんな心配を口に出しても「いわでもがな」かな、と思ったりした。

もちろんAは、不安を口にする。と、同時に、彼女に対する想いも語ってくれた。

「お互いの価値観が同じで、自分にとって必要と感じさせる存在なんだ。これまで、自分の人生の信じるモノを貫くのものが最も大切だと思っていた。でも、Bに出会って、ほんの少し軌道修正してもいいかな」と。

う〜ん、Aとつき合ってきて数十年。奴をここまで思わせ彼女のBさんはどういう人なのか。ちょっとだけ興味はある。

「そりゃ。凄い人だよ。愛情に満ちあふれている。他の人に対する深い思いやりがあり、この社会を少しでもよくしたいと心の底から願っている。で、何よりも唸ったのは、それを生活の中で実践しているんだよ」

はい、はい。でも笑いはしない。Aは真剣だもの。正直、羨ましいくらい。

でも、釘をさしておかねばならぬ。「あのなあ。それはおのろけか?」私はいつもの皮肉のトーンを強めて言ってやった。

「ま、そうかもしれん。でも、ほんまやで」

はい、はい。ここまで来ると、皮肉も通じない。

今後の心配を語りつつ、二人で会っているときの「夢物語」を延々と聞かされた。愛はあっても、同時に心配は山ほどあるだろう。まあ、そりゃ、Aの今の生活を考えたら、当然だ。

「実は、お父さんには何度か会ったことがあるんだけど、2人が交際しているとは知らないと思う」。AはBさんの父親には受けがいいらしい。

が、面白いと思ったのが、Aが彼女の母親について話しをしたときだった。

「Bは、お父さんをとても大切にしている。それは、こちらが羨ましいと思うくらいだよ。それ以上に、お母さんも大切にしているんや。わが娘のような感じで母親を語るんや。あの愛情はすごい。電気が走ったわ」

Aは続けた。「一度、Bに尋ねたことがあるねん。なんでそんなに愛情いっぱいなんやって?そうしたらどう応えたと思う?

−「両親のおかげ。感謝している。愛情いっぱいに育てられたのを身をもって感じてる。本当に感謝してる」− って。

はあ、さよか。

恋は何物を見えなくする−恋をすると、相手がまばゆいばかりに光輝く。その光のまぶしさに照らされ、幻惑され、本当の相手の姿が見えなくなる。で、ある時その光が消える・・・気ぃつけや。

今のAにこれを言っても仕方ない。このセリフは、飲み込んでおくことにしよう。

「ああいう風に、面と向かって他人である俺に、自分の親への感謝を言う人に会ったのも初めてやったわ。」

「俺も子供の頃から苦労してきたし、人間不信の所もあったけど。Bに出会ってよかったって思う。なんか、Bの前だと、自分の弱みを見せられるンやね。突っ張っていることもないし」

自分の弱みを出せる相手がいる。ええ出会いをしてるなあ、Aは。これは、羨ましい。

「今は、そういう人に会えた。それだけで幸せや。それ以上に、この自分の思いが通じてるンや」

「だから、Bの両親に会ったら、まず、正直に、心の底から、『ありがとございます。Bさんを産み、ここまで大切に育ててくれてありがとう』」って言いたいんや。

「おいAよ、それを言うなら、まず自分の親へ対してやろ」
私がこのセリフを言うのはちゃんちゃらおかしい。
これまた、ゴックンと、飲み込まざるを得なかった。
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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