フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2004/06/23 第32号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
取材の中で、日々の生活の中で感じたことを書き綴ります。
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■第32号■

<恐怖からの自由>

東南アジア最後の軍事政権国家ビルマで昨年九月、身体が震えた。恐ろしさと感動で心臓が縮み上がった。ビルマは現在も、軍の絶対的な暴力を背景に人びとを抑え続けている強権国家である。

政治の話を表だって口に出すのはタブーである。憩いのために集う喫茶店では、軍のスパイが絶えず目を光らせている。相互監視とタレコミとチクリの世界がそこにはある。

政治に関わり、政府に目をつけられると、それで人生の終わりをも意味する。誰もが息をひそめて生きている。ここでは、政治に関わることは危険なのだ。

隣国タイで発行されている、反ビルマ軍政の雑誌を所持していた若者が逮捕され、15年の刑期を宣告された。88年の民主化闘争で拘束された当時の学生リーダーは今、15年の刑期が終わっても出所の見通しが立たないまま。

自分の信じる思想を捨てないために、20代から40代までの貴重な時期を、堀の中で生活し続けている。ビルマでは、62年からそんな閉塞社会がずっと続いている。

しかし、そんな状況下でも、希望を捨てない人びとがいる。私は現地に滞在中、偶然、そんな人に出くわすことがあった。意思を持って、立ち上がった人びとを目撃した。

だが、勇ましく、拳を振り上げて立ち上がったのではない。小雨降る中、無言のまま、路上にたたずんだにすぎない。自分たちのリーダーであるアウンサンスーチー氏の身体を心配して、小さなプラカードと彼女の写真を胸に、静かに抵抗の意思を示していただけ。

逮捕・投獄。自由を奪われるのは、恐ろしいこと。だが、それにも関わらず、立ち上がる。まさに、それこそがスーチー氏のいう『恐怖からの自由』なのだろう。

彼らを前にして、私は写真を撮るのを、一瞬ためらった。周りは、私服の軍政府の関係者で囲まれているはず。もしかしたら、写真撮影をする自分自身が拘束されるかもしれない。

外国の記者はむろん、地元の報道関係者も全く姿が見えない。何が起こっても、後で誰も検証することは不可能。

どうなるかわからない。そう考えると怖かった。しかし、彼らの無表情の面もちこそが私を強烈に引きつけた。一歩前へ踏み出し、彼らのその姿を写真に収めた(後日、『バンコクポスト』で発表)

シャッターを切る指は震えはしなかったけれど、心臓が縮みあがった。口の中の唾液は、苦い鉄の味がした。自分で作り上げた恐怖の枠を意識した。今振り返っても、あれは自分の力で恐怖を克服したわけではなかった。

雨の中に立つ彼らの力を借りた行動であった。何が彼らを突き動かしたのか、それを想像するだけでも胸が熱く、痛くなる。

この15年間、日本の外側で、自分の目の前にいろいろな出来事が展開してきた−−シンナーを手から離さず、目をトロンとさせている路上生活の子どもたち。日本政府に戦後補償を求め続ける韓国の元従軍慰安婦。国境を越えて売られていく少女たち。

豊かな生活を夢見て、国境を越える人びと。地雷で両手両目を失った農夫。国軍兵士の暴力から逃れた難民。銃を担ぐ少年。ゴミ捨て場で生きる人びと。無計画に山から切り出されるチーク材。内戦を終結させ、歓喜する人びと−−これらは書物の中の物語やテレビ番組の作り事ではなく、事実であった。

取材の中でいつも感じていたのは、なぜ自分ではなく、彼らなのか、ということであった。日本に生まれるかどうかで、その後の運命が決定づけられてしまう。

あるいはこの21世紀の初頭に生を受けるかどうかでも、違う人生をおくることになる。現実問題として、人間は生まれた時から不公平・不条理な世界を目の前にしなければならない。それは現実であった。

問題は、その後である。世の中の不条理を知ってしまった後の生き方である。フィリピンのスラムで活動する日本人の伊藤さんは、「知ってしまった責任」を強調していた。

ある人は当然のように、今の時代を「時代の転換期」「激動の時代」だという。しかし、いつの時代であっても、その時代は大きく動いているはず。

「激動の時代」を強調するのは、自分の生きている時代を、あるいはそれを分析する自分を大きく見せたい、その裏返しなのか。それより、人は、自分の生まれた場所と時代から逃れることはできない。

ひとつの時代から発生する思想や主義主張も、おのずと時代の制限を受ける。その冷たく、簡単な事実を、なによりもまず押さえておかねばならない。

日本では60年代〜70年代に「安保反対」「学生運動の盛り上がりと挫折」があった。今だから、後追い的に批判的にその頃を分析できるのであって、当時の参加者は、本当に革命が起きると思っていたようだ。

記録によると、そのころは、主義・主張の暴力的な激しいぶつかり合いが、平穏な生活を凌駕していた(そうだ)。

しかし、いったい、あの頃の、理想を求めていた人びとはどこに消えてしまったのだ。夢を謳っていた彼らは、その後に、より長く続く人生を生きるために、妥協し・流され・傷つき、消え去ってしまったのだろうか。

その結果として政治は、権力者に利用されて、人の夢見る理想は骨抜きにされてしまった。社会の根本は、何も変わらなかった。その反動が、「理想を追っても何も変わらないのだ」という現実を、その後(今)にもたらしたようだ。

しかし、しかしである。いつの時代にも、その生まれた時代に翻弄されながらも、いや、時に抗いながらも、自分の正しい主張を信じて行動する人がいる。それは、世界どこにでも現れる。

彼らの要求は、彼らが人間として生き延びるための正義でもある。私は、そんな彼らの正義に心を寄せたいとも思う。

個人のエゴともいえる正義と正義のぶつかり合いが実は、紛争を生みだしている。人はそういうかもしれない。だが私は、不条理に抑えつけられていた人が絞り出す正義を支持したい。

無理矢理にでも、ある歴史の一部分を自分に引き寄せて考えてみたい。不可能かもしれないが、できる当事者に心を寄せたい。

今の時代、誰もが、自分の人生の中では、自分が主人公になりたがる。だが、物語(社会)は一人の主役だけで成り立っているのではない。

物語の中では絶えず、主人公どうしが衝突し合い、紛争が起こる。誰もが、自分らしさを追求するあまり、脇役になるのを拒否するからだ。

人は、自分(たち)の生活を守るため、自分(たち)の主義主張を貫くためぶつかり合う。ところが、物語(社会)を支配するのは実際、個人ではなく、権力を持つ者である。

権力者は監督となって、実のところ、自分たちの都合のいいような作品を仕上げる。個人どうしがいがみ合っているうちに、物語は監督のいいように作り上げられてしまう。

自分の人生を守ろうとするあまり、他人の人生を傷つける。その実は、誰かに支配されてしまっている。

灰谷健次郎『優しい時間』のなかに次のような一節がある。
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 あなたの知らないところに
 いろいろな人生がある
 あなたの人生が
 かけがえのないように
 あなたの知らない人生も
 また、かけがえのない
 人を愛するということは
 知らない人生を
 知るということだ

 他人の人生を知るということと、他人の考えを知るということは、人が人
 になるために、絶対的に必要なこととしてあるのだろう。
 ・・・・・。
 いくら自分を知ろうと務めても、他者の生を知ることなくして、自己の存
 在を確かめる 術はないのである。
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今は誰もが自分の生活を大切にする時代のように思える。だが、他人の人生を、自分のそれと同じように大切にしているのか。疑問である。
大切にしようとする自分とは、個人の身の回り5mほどの小さな同心円を中心にした近親者や知人・友人である。その円を超える世界を考えようとするのはまれなこと。

また、その円内に自分の理解できないモノが入ってこようとすれば、過剰な反応をして拒絶する。

異質なモノ、言い換えれば、自分に受け入れられないモノを排除する論理をいかようにも組み立てる。

小さな同心円的な幸せを大切にする今の日本社会、日本以外の動きに関心なしでも生きていける。それ故、その平々凡々とした生活に波風を立てようとする者は、激しく糾弾される。

たまたまこの中米取材に、中島みゆきのCD「地上の星」を持ってきていた。それを聴きながら、太田昌国が「この国は危ない」(「支援連ニュース」、1998年10月号)で書いていたことを思い出した。
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「わたしの子供になりなさい」(ポニーキャニオンPCCA-01191)という名のアルバムの最後にその曲は収められていて、題して「4.2.3.」という。 ・・・・・。

曲名の「4.2.3.」は、フジモリ大統領が人質救出のために武力を行使した日付を日本時間で表現したものである。・・・・・。
・・・・・。

 あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない
 あの国の戦いの正しさを ここにいる私は測り知れない
 しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心のある人たちが何故
 救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう
 この国は危ない
 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう
       平和を望むと言いながらも
 日本と名の付いていないものにならば
       いくらだって冷たくなれるのだろう
 慌てた時に 人は正体を顕わすね
 あの国の中で事件は終わり
 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた
 4.2.3.…… 4.2.3.……
 日本人の人質は全員が無事
 4.2.3.…… 4.2.3.……
                    「作詞:中島みゆき」

・・・・・。
問題はこうなのだろう。この国で保障されている「言論の自由」の枠内で、メディアは多様な見方を提出しているように見える/あるいはそう信じられている。この事件の場合で言えば、「どんな理由があれテロはいけない」「人質の安全が心配だ」に始まり、「テロリストに妥協するな、譲歩するな」「フジモリも監獄の処遇状況くらいは改善しなければ」「貧困問題が根にある」「日本も政府開発援助のあり方を見直さなくては」……という具合に、実に多様な意見が飛びかうように見える。

だが、事件の発端をなした天皇誕生日パーティの問題性を指摘する議論は、マスメディアには登場しない。少数者のテロと国家のテロをまず同列において、どんな政治・社会のあり方が双方のテロ(暴力)を廃絶できるのかを根源から考えようとする意見も登場しない。
・・・・・。

「あの国の人たちの正しさを/あの国の戦いの正しさをここにいる私は測り知れない」という一節は、中島が自分の位置を自制をもって定めようとしている姿勢を示しており、それをまったく欠いていた多くのマスメディアの対極にある。その姿勢が定まることによって、彼女は「日本と名の付いていないものには、いくらでも冷たくなれる」「この国の危うさ」を歌い、ペルーの出来事を介して足元の問題に戻ることになる。
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数年前のペルーと今のイラク。時期と場所は違えど、日本国内の反応はあまり変わっていないようだ。日本という一国だけの平和ボケは相変わらず。

今の日本の安寧はある意味、世界の不条理で成り立っているとは気づかされていない。誰もがこの満たされた生活を失いたくないようだ。世界の不条理に目を閉ざしつつ、同心円の生活を守ろうとしている。

私は自分の仕事の関係上、おい、今の日本、おかしいのと違うか。そう言葉を投げかけざるを得ない。そんな言葉は、「和」を乱すモノとして、嫌われるのかもしれない。時に、反発を招くこともある。

今、中米グアテマラを取材中にこれを書いている。米国に追従する日本の姿は、ここ中米からどのように映るのだろうか。

世界的に脅威を煽り、敵を人工的に作り出す米国。一方日本は同じように、隣国に敵を作り出し、国内の不安を異常なほどたきつける。

意図的に敵を作り出す。人の心に恐怖と不安を植え付ける。その敵を、犯罪的な暴力で排除したら安心が得られるのだという策略。恐怖に支配された人は冷静な判断ができなくなる。

さらに、今、何を考えなければならないか、判断材料となる情報は、権力者によって、あるいはその走狗となったメディアによって支配されているのが現実。もう、ああ!としかいいようがない。

私はこの1週間毎日、80年代に起こった虐殺の秘密墓地の発掘現場に足を運んでいる。米国が後押しした政策の結果だ。

米国の暴力の犠牲者となったグアテマラの先住民族の人びと。その後始末は、今も続けられている。東西冷戦を理由にした、権力と富の占有。それに逆らう者は、永遠に黙らされた。

『グアテマラ 虐殺の記憶 歴史的記憶の回復プロジェクト』(訳・飯島みどり・狐崎知己・新川志保子)はこういう。
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こういうことを二度と繰り返させないために何をしなければいけないのでしょうか。民衆組織を作り、人として自分たちがどんな権利を持っているのか、そして何をすべきかを知ることです。そして恐れを捨てることです。恐れこそがわたしたちの力を削ぐものですから。怖かったから、黙り込んでしまったのです。でも今は、話すことができるようになりつつあります。この恐怖を克服することが大事だし、そうすることでのみ、お互いを尊重し合うことができるのですから。
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世間から指弾される恐怖。バッシングされる恐怖。食えなくなるのではないかという恐怖。自由に生きようとすればするほど、恐怖がまとわりつく。自由な発言をするのに恐怖や不安を感じるのはおかしい。

日本で生活する者は、ビルマやグアテマラで起こった大きな犠牲から学ぶことができるはず。それは、なによりもまず、自分で自分を縛る恐怖を解きほぐす必要があるのでは、と。
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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感想は宇田有三(info@uzo.net)まで
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