| ビルマ、現在はミャンマーと呼ばれるこの国では、この10年近く、民主化を巡って
学生・市民と政権を握る軍部・特権階級との政治対立が続いてきました。一方で軍政は、ビ ルマ独立以来50年に及んで政治的公正を求めて戦ってきたカレン民族をはじめとする少数
民族らにも不安を抱え、89年来、度重なる大軍事攻勢によって自由勢力との衝突を繰り返 してきました。 93年から中国との関係を緊密にした国軍は兵装の近代化とともに戦闘力を拡大し、 次々に力づくで少数民族軍との停戦合意を達成します。最後まで抵抗を続けたカレン民族軍 も95年の大攻勢には総司令部を失うなど、大打撃を受け、政府との和平を探る交渉に解決 を求めました。 しかし、4度に渡る交渉にも、ビルマの政治的問題点について争える場面はなく、[停 戦]に的が絞られた交渉は合意には至りませんでした。軍政府の「誠意のない和平」に業を 煮やした各少数民族の中にも武装闘争再開の声があがり、今年に入るとアウンサン・スーチ ーさんらの民主化勢力を支持、協力して軍政への対決姿勢を打ち出した協定に殆どの少数民 族が調印し、国軍との対立緊張が高まりました。 ******************** 1月28日、ビルマの国軍は、タイ国領内にあるカレン民族の難民キャンプ、ホイッ クロなど3箇所を越境襲撃しました。近隣商店や学校・病院・援助団体の施設が略奪の末、 非武装の難民部落は大部分が焼き払われ、一万人に及ぶ人々が住む場所を失い、さらにタイ 領内深くへ避難しています。 難民キャンプ襲撃は、昨年来、頻繁に続いており、ビルマ側から突然夜中に迫撃砲弾 が降り注ぐという事も珍しいことではありませんでした。1月には、タイ領内深くにあるカ レニ民族の難民村が襲われて多くの死傷者もでています。 そして、今年2月12日以来、6個の軽歩兵師団から5万人規模の兵力を動員した政府 軍が、大規模な総力攻勢を国境地域のカレン族に対して開始したのです。 「こんなことがいつまでつづくのでしょうか」。もともと僕には、難民や戦争被災者 の苦難を言うことに退け目がありました。この地域に関わっている理由が、義勇兵士として 少数民族軍の抵抗ゲリラに参加していたことだからです。 しかし、日本のニュース報道は自由ビルマを望んで戦う人々にとって受け容れがたい 痛みでもあるのです。彼らの良識−難民問題に同情を示しつつも、ミャンマー軍政に一定の 配慮を持った報道が真実を覆い隠してしまっているのです。 僕は、友人に頼って、92年の秋から、移動診療チームの応援を始めました。一度に十 万円程度の医薬を買い込んで、年に2・3度、医師や看護士と一緒に山間の村を廻るだけの ささやかなNGO活動です。その活動を通してカレン民族の人々から聞かれる言葉は、極めて切実なものでした。 牛車に揺られて3時間をかけ、外国人の私たちに話をしに来た19歳の女性はいまだ 中学校を卒業したばかりだと言いました。彼女の父親は、彼女が幼い頃に少数民族軍に参加 して戦死しています。以後の逃亡・移動生活が教育を受ける機会を奪ったそうですが、父親 を恨んではいないとも言いました。学校の教師になりたいので勉強は続けると言うことでし た。また彼女らを含む数家族が最初に逃げ出した村は、数日のうちに全戸焼失させられ、こ の時、彼女の従姉妹2人が母親とともに殺害されていたことを後で知ったと話してくれまし た。 移動診療に同行していた護衛兵士たちも皆まだ若く、多くは、親・兄弟・親戚のどこ かで政府軍の暴虐を経験し、兵士になったと言います。別の16歳の少女は、戦争は恐ろし かったけれど、解放区最前線のそばの村にいた頃、兵士でもある父親と一緒に暮らせた1年間が一番幸せだったと話していました。 今、彼らの運命はビルマ政府とカレン民族同盟を取り巻く政治的環境の変化にかかっ ています。カレン民族は不確かさと恐怖を背負ったまま不安の中で生き続けているのです。 また考えてみてほしいのですが、確かに私たち日本人は、彼らの抱える問題に重要な 役割も果たしているのです。 日本への国際貢献の期待を「取りはぐれの少ない蜜」と捉えて利益にありつこうとす る商社の暗躍が活発で、また軍政も海外との自由貿易拡大に大きな意欲を持っていることか ら、大小さまざまな日本企業家のヤンゴン訪問が近年のブームとなっているのです。こうし た商社の活動の一部は間違いなく軍政の暴力になっています。 重大な人権侵害の疑いについて厳しい非難をうける国に対し、これだけの企業進出が 堂々と行われることは民主国家としては希なことなのですが、日本には企業の側に自主抑制 をはかる努力や認識が欠如しており、それを邪魔するような世論の効果も期待出来ないのが 現在の日本社会なのです。軍政の欺瞞を、「発展途上国なりの努力」などと理解してしまっ てはいけない現実があるのです。 軍政下のビルマでは、歴史を造ったのは国軍であり、未来を率いていくのも国軍であ るそうです。国家のために国民が犠牲を払うことはアタリマエで、国軍が国民に重圧・犠牲 を強いることが出来るのも当然と考えられています。少数民族に特定宗教による覇権思想は なく、山間を少し切り拓いて、静かに昔ながらの暮らしを営みたいと考えている少数民族の 平和を「国家の都合」で壊されたくないというのが、彼らの戦う理由にすぎないのです。 しかし、少数民族の居住する地域は国軍の国家開発計画における重要な目標地域でも あります、軍は村人に移住を強要し、拒否すれば村を焼き、軍隊をして非武装の村も攻撃し ます。これは解放軍の基地で戦われる戦闘とはまったく別の暴虐行為にすぎません。カレン 軍はこれまで非武装の村人を襲ったりはしなかったのですから。 政府軍は我々の診療班を襲ったこともあります。カレン民族と国軍の和平交渉は既に 始まっていましたし、私たちは護衛をつけずに出掛けた移動診療で襲われ、医薬を奪われま した。92年にはスタッフが撃たれたこともあります。看護士ミョウ・ウィンの腹には、マ シンガンの銃痕が2つ繋がって出来た大きな傷が縫い合わされています。 また、私たちが廻ったほとんどすべての村は政府軍からの脅迫文書を受け取ってもい ました。「国家発展と国軍の活動に積極的に協力しないものは反乱分子として処刑する」と いうような内容なのですが、内実、要求の中身は現金から酒や米、志願労働まで様々です。 国際非難を交わす意味で、軍政が鉄道建設現場の一部をマスコミに見せ賃金を支払っ てみせたこともありますが、天然ガス・パイプラインでは、政府軍の言う「賃金を貰った志 願労働者」が、地雷の撤去作業を強制させられていたケースも報告されています。少数民族軍に解放された村人は「連れてこられたのが一週間前で、作業中に4人が死んだ」と証言し ています。 カレン反乱の目的は国軍中心統制の破壊ですが、独立であれ連邦・民主ビルマのいず れにせよ、それがカレン民族の歴史的・文化的生活を保証しうるものであれば、武器を収め ることが出来るでしょう。カレン民族には、支配者になろうとする考えはありません。 いかにビルマという国の人々や文化的側面が素晴らしいものであろうと、それをつか さどる国政の支配者の行為は注意深く見つめなければならないと思うのです。 私個人、ここで生きた時間の中では、日本人の戦死者を含め、多くの友達も失いまし た。たくさんの生と死を見つめて、生きることへの考え方も変わってきただろうとは感じま す。しかし、生きる場所と時間に、ここで戦い続けることを選択したことに後悔はありませ ん。追いつめられてゆくカレン民族と僕の前にどのような未来が待っていようと、自由を求 めたカレン民族の戦いの僅かな一部分を戦士として担うことの出来る自分に満足しているか らです。より多くの人々が、こうした少数民族のあり方に関心を持ってくれればさらに幸せです。 |
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BY TAKAZUMI NISHI
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#この記事は月刊誌「母のとも」1997年6月号誌上で紹介した原稿です。
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