佐高 信の著作から

『 日本世直し白書 』(社会思想社、1993年)

江田五月 「・・・、憲法が文化を規定するとは思えない。 憲法は国民と権力者のあいだの関係、権利義務の関係、とくに国民に対して権力者が守らなくてはならない規範や準則を決めるものです。伝統や文化をもちだして憲法を論じらると、・・・」(P.12)
佐高 「・・・・・。逆にいえば外国人労働者も難民も受け入れないから、罪ほろぼしにPKOで外へ行くんです。国内の国際化を進めないかぎり、国際貢献なんて逆効果です。」 「確かに国際貢献といいながら、日本は外国とのあいだの隔絶をどんどん広げる方向に動いているように感じますね。」(P.19)
佐高 「・・・・・。会社もずいぶんよくはなってきたとはいっても、まだまだ多くの所は男尊女卑、不平等ですし、・・・・・。就業規則をていねいに読む、これだけで、・・・、 『 問題者 』 としてチェックされる。 この伝でいけば、憲法をていねいに読むなんてこれはもう 『 問題国民 』 になってしまう(笑)。・・・・・。」(PP..21−22)
(「この「『平和憲法』こそ21世紀に必要だ。」)

田勢康弘 「・・・、もう一つ言えることは、・・・、日本の場合、・・・、書いたものでジャーナリストとしての評価を受ける仕組みになっていないんです。・・・・・。派閥記者として、どれだけ、派閥に食い込んだかということだけが、評価のモノサシになっていくんですよね。」(P.40)
田勢 「・・・、だからいかに取材対象を厳しく見つめて、正しい勝負をするかということ、それはきれいごとばかりではないでしょうが、ただジャーナリストとしての自分の評価が一番大事なわけですから。・・・・・。そして基本的に記者がまず、トレーニングされていないということがあるわけです。ですから、本質的にジャーナリストそのもの違うということ、メディアの体質が全然違うわけですから単純に比較できないですね。」(PP..44−45)
(「何故、これほどまでに。政治ジャーナリズムの不毛を撃つ。」)

内橋克人 「近代化していけば日本の企業の今の強さは確実に殺がれていく。・・・・・。近代化していくということで、これまで日本企業社会を通じて働いてきた原理、価値の体系が解体される。今の企業社会は行き詰まった深刻な状況にきているけれども、そういうときに批評したり批判したり糾弾したりする立場で混乱を起こしてはいけないというのが私の考えです。その混乱はどこから生まれるかというと、会社はみんなのものじゃないか、それが民主主義だ、というような考え方を通すことによって出てくるのではないかということです。前近代的なるものとは何なのか、と言えば前近代的・・・、下請けであったり、人権軽視の単身赴任であったり、・・・と言うような人権意識の欠如ですね。これを近代化していくために現在の日本企業社会を糾弾するという思想性を持つ。・・・・・。  ・・・、実はすでに市場原理だけでは世の中動かないという社会のレベルに達している。」(PP..178−179)
奥村宏 「・・・、まだもっと個人の生き方があった時代だ。」
内橋 「過去の日本社会で時の体制となるような考え方に対して批評するマイノリティがいましたが、その批評の実りがあったかという視点から振り返ったときに、・・・、こういうやり方があってはならないという考え方で現代社会の矛盾を突いていくという集団がなければならない。・・・・。本質に迫る批判に行く前に風化していく。」
内橋 「・・・・・。マイノリティが、マジョリティになれないという範囲のなかに批評をを留めておいたのでは、これから先の十年二十年を考えた場合絶望的ではないか。 ・・・・・。矛盾を突かなければならない。矛盾を突く道具、武器としての道具に一般性と普遍性がない。一般的であり、普遍的であり、精密なものであれば、その批評は主流になれる。主流にならなくともモノをかえる力にはなる。ところが、過去はモノを変える力にはあまりなり得ていない。」 (PP..194−195)
(「雇う側さえも過労死社会になっている。」)

佐高 「・・・・・。過労死は戦争よりひどい、ということだ。」(P247) (「朝の一番電車に乗る銀行員たちへ。」)

小邦宏治 「・・・・・。基本的には、雑誌なんていうのは、なにを考えて発行しているのかという問題に最後は返るんでしょうね。」
山口比呂志 「志だと。」
小邦 「・・・、ジャーナリズムとしての視点をちゃんと持って、そこに立脚して、・・・・・。」(PP..283−284)
佐高 「解決策がないことの重さに耐えるということがない。またある意味では、解決策なんてそう簡単に出てこなくて、・・・。」
佐高 「・・・・・。それがとにかく絵にならないとかいう言い方をする。」(P287)
(「マスコミ、これでいいのか。」)

佐高 「・・・・・。企業にとって最も怖い批判が・・・、企業は 『資本主義が悪い 』 と言われても平気なんで、 『 貴方の会社のこの数字がおかしい、・・・ 』 と言われると痛い。要するに 『マクロはいくらでも吠えてください 』とは言うが、ミクロを突かれると痛さに飛びあがる。・・・、 『 よし、マクロは語るまい、ミクロに徹しよう 』 と決めた。 ・・・・・。」(P.306)
塩沢由典 「・・・、行為を批判するのじゃなくて、存在を批判してしまうことがよくあった。人間に対してそんなことをやったら差別そのもで、・・・、企業についてはそういうことをやりがちですね。」
佐高 「日本は会社全体主義社会だと私は思う。戦後の民主化の波は会社には及ばなかった。・・・・・。ではなぜ会社に民主化の波が及ばなかったのか?そこに例の修養団の活動があった。・・・・・。」(P.307)
(「会社全体主義に異議あり。」)

『鵜の目 鷹の目 佐高の目 』(読売新聞社 1997年)
「 『 かわいそうな人 』 の筆頭は警察とマスコミだった。彼らは予断をもち、その材料集めだけに走った。」(P20)
(「官僚以上に官僚的なTBS社長の身の処し方」)

「 『 価格破壊 』 というコトバが流行した。しかし、安ければそれでいいのか。・・・・・。 1988年にイギリスで発行された 『 ザ・グリーンコンシュマーガイド 』 によれば、・・・。 商品を選ぶ基準として次の10原則を頭においている。
1・必要な物だけを買う。
2・ゴミは買わない。容器は再使用できるものを選ぶ。
3・使い捨て商品は避け、長く使えるものを選ぶ。
4・使う段階で環境への影響が少ないものを選ぶ。
5・作るときに環境を汚さず、作る人の健康を損なわないものを選ぶ。
6・自分や家族の健康や安全を損なわないものを選ぶ。
7・使ったあと、リサイクルできるものを選ぶ。
8・再生品を選ぶ。
9・生産・流通・使用・廃棄の各段階で資源やエネルギーを浪費しないものを選ぶ。
10・環境対策に積極的なお店やメーカーを選ぶ。」 (PP..54−56)
(「 『 安ければすべて良し 』の 『 価格破壊 』論は妄想だ!」)

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それは、大企業のオピニオンリーダーでもあり東大教授でもある経済学者・林周二が提唱した、 「大衆の浪費を刺激する一〇の戦略」 である。この一〇の戦略には、・・・・・。
−大衆の浪費を刺激する一〇の戦略−
一、捨てさせる。−一〇〇円ライターや、一〇〇〇円時計など
二、無駄使いさせる−大きめの角砂糖やちょっと押しただけでスーッと出て、もとに戻らないエアゾール式容器など
三、贈り物にさせる−ヴァレンタインセールや父の日セールなど
四、蓄えさせる−洋酒ビンや全集本など
五、抱き合わせ商品にする−カメラの速写ケースなど
六、きっかけを与える−読書週間や虫歯予防デーなど
七、単能化させる−専用ビタミン剤や、七色ウィークパンティなど
八、セカンドとして持たせる−セカンド・ハウスやセカンド・カーなど
九、予備を持たせる−タイヤ、電球などのスペア性のものやフィルムやストック性のもの
十、旧式にさせる−まだ使えても旧式だと思わせる  
これは、あきらかに、浪費文明の神が大衆に下した「十戒」である。さしずめ・・・・・。
この一九六〇年代前夜に布告された「十戒」は、二〇年を経た現在、色あせていないばかりか、・・・・・。  余談であるが、この「十戒」は林周二の独創ではない。アメリカの社会学者V・パッカードが五〇年代末に著した 『浪費をつくりだす人々』に、・・・・・。
V・パッカードは消費文明批判のために書物を著したのだが、林周二はそれを逆用したのである。
(藤原新也「転位」PP..51-52『 東京漂流 』1987年、情報センター出版局)
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「もう泣きっ放しだった 『 日本一短い 『 父 』 への手紙 』」

「 伊野憲治編訳の 『 アウンサンスーチー演説集 』 (みすず書房)所収の 『 真の勇気 』 によれば、彼女の父親は、 『 行動できることが勇気なのではない。耐えられることこと勇気だ 』 とも語ったという。」(P.144)
(「”囚われの孔雀”スー・チーをさらなる闘いに駆り立てるもの」)

「責任は個人から発して個人に返る。もちろん構造を問うことも大事だが、とりわけ日本人に責任を自覚させるには個人のそれを執拗問うていくしかない。移転先云々はそのための私の一つのドスである−。」(P.170)
(「米軍基地の移転候補地には政治家たちの選挙区に!」)

「私は、遠藤の・・・自分自身の 『 少年少女の生活日記 』の解説に私はこう書いたことがある。  ・・・・・。
私は、この世の中には百点満点の完全な人間はいないと思います。どんな人間にも弱点や欠点があります。ないと思っている人はそう思っていることが欠点なのです。本当に強い人間は、自分の弱点や欠点を知り、それを直すことをあきらめなかった人だと私は思います。弱点や欠点に負けなかった人、何度も何度も負けそうになっても、また起きあがった人、 『 もうダメだ 』 と思って投げ出しても、しばらくして 『 いや、しかし 』 とまた歩き始める人が本当に強い人だと私は思うのです。・・・・・。」(P.247)
(「怪物弁護士・遠藤誠 激越行動の原点に”寝小便体験”あり」)

「理のある怒りより、理のない怒り、理不尽な怒りに惹かれるところがある。・・・・・。
しかし、そうした怒りだから、いつまでも燻って、燃え尽きることがない。(P285)
(「理のある怒りより 理不尽な怒りに惹かれて」)
『 憲法から斬る 』(岩波書店、1997年)
「・・・・。とにかく、それぞれの集まりがみんな、純粋主義のタコツボになっている。・・・・・。  しかし、独りよがりの純粋主義は、ラッキョウの皮むきのように、どんどん、 『 不純な 』 皮をむいていって何も残らないという結果を生むだけではないのか。 自らを痩せさせるだけの純粋主義からは、もう、いい加減卒業してもいいのではないか。」(PP..4−5)
「私が好きな 『森の生活』 の作者、ソローの言葉に・・・。 『 足なみの合わぬ人をとがめるな、彼は、あなたが聞いているのとは別の、もっと見事なリズムの太鼓に足なみを合わせているのかもしれない 』」
 全人格的に一致しなければダメの全面肯定、全面否定でなく、部分否定、部分肯定の精神が運動には必要なのである。」(P6)
「 『 死んで神様と言われるよりも、生きてバカだと言われ 』た方がいいのである。・・・・・。加川の歌はまた、日本人のマジメ主義を撃っている。何はともあれ、マジメを良しとし、 『 非良心的 』 よりは 『 良心的 』 を高く評価したがる日本人。」(P24)
「私はかつて、 『 誠実主義賛美への疑問 』 という・・・。とりわけ日本人には誠実である自分、マジメである自分に陶酔するマジメナルシズムに陥る傾向があり、それが何への誠実さかということは、あまり問われない」(P25)
「・・・島村(大心)が 『 己を生きる心を生きる 』 に、・・・ 『 社会生活では、ビリを行くことが肝要だ。本当の自分の人生には、点数をつける必要はない。何をやっても、どのようにやっても、どの程度やっても、それが総てなのだ。人生には、各人各人が命がけなのだ。怠惰な人生を送っても、その人は怠惰に一生懸命なのだ。誰の人生も、本人から見れば常に百点なのだ。他人の目からみてそれが何点であろうが構わない。それに拘泥することほど、つまらぬことはない。あるがままに、そのまま許容しながら、己の選びとった登山道を一歩一歩、着実に歩いていけばよいのだ 』 」(PP..48−49)
「 『 私たちは自分で選んで日本で生まれたのではありません。・・・・・。自分ではどうすることもできない属性を理由に差別されることは基本的人権の侵害です。外国人の基本的人権が侵害される社会の人権水準では、自国民の人権さえも実際に守られる保証はありません」
「私は、この日本で在日・朝鮮人であることを隠さずに生きていきたいのです。身を縮ませ、屈辱の思いで涙する生活とは決別したいのです。差別され、さげすまされた悔しい思いと、心の傷を掻き消すことはできません。しかし、私のほうから差別や過去の歴史を責め立てることはもうしたくありません。・・・、私たちにそのことをこれ以上いわさないでください」(PP..81−82)
「中島(義雄)その後、次の丸山(眞男)発言を含めて・・・ 『 自分の価値観だと思い込んでいるものでも、本当に自分のものなのかどうかよく吟味する必要がある。自分の価値観だと称しているものが、じつは時代の一般的雰囲気なり仲間集団に漠然と通用している考え方なりとズルズルべったりにつづいている場合が多い。ですから、精神の秩序内部で自分と環境との関係を断ち切らないと自立性が出てこない 』(P88)
「 『 ニューリーダー 』 という雑誌で宮本(政於)と対談したら、・・・こう言っていた。 『 彼(野茂英雄)の活躍は非常にすばらしいし、・・・、全マスコミが彼を賛美する中、全く欠けているのが 『なぜ彼が日本を去らなければならなかったか』 の分析です。・・・・・。」(P115)
「・・・日本人の銀行観について考える時、私はいつも、五味川純平の 『 戦争と人間 』 (光文社文庫)のセリフを思い出す。・・・・・。 『信じるなよ、男でも女でも、思想でも。ほんとうによくわかるまで。わかりがおそいってことは恥じゃない。後悔しないためのたった一つの方法だ。威勢のいいことを言うやつがいたら、そいつが何をするか、よく見るんだ。・・・、ことばやすることに、裏表がありゃしないか、よく見分けるんだ。自分の納得できないことは、絶対にするな。どんな真理や思想も、手がけるやつが糞みたいなやつらなら、真理も思想も糞になる」(PP..147−148)
「・・・そうした研修を認める自由も、批判する自由も平等に存在するべきだという、のっぺらぼうの相対主義を掲げる。・・・・・。」(P156)
「・・・、人間の意志、とりわけ日本人の意志など弱いものであり、コントロールされやすいものだということに考えが及ばない。 それに考えを及ぼすことを妨げているのは、やはり、日本の社会はそんなにひどくはないだろう、・・・という無意識の現実追認思考だろう。・・・・・。」(PP..158−159)
「記者の頭の中には、国民との信頼関係という概念はなく、ひたすら、これから 『 仕事 』 ができなくなるではないかという自分の都合しかないように見える。・・・・・。 そもそも、彼らには読者という観念は稀薄である。政治記者なら政治家や他紙のライバル記者がどう読むかが最初に頭に浮かぶ。経済記者なら、対象企業の関係者やライバル記者が”読者”となる。」(PP..168−169)
『 日本に異議あり 』(講談社、1992年)
「アフリカにマラウイという国がある。・・・・・。そこに駐在となった日本人が雇った現地人秘書が最初に覚えた日本語が、 『 とっても忙しい 』 と 『 とっても疲れた 』 だという。・・・・・。 『 日本はゆっくり進むことは許されないと思いこんでいる国である 』 と喝破したのは、 『 第三の大国・日本 』を書いたフランスのジャーナリスト、ロベール・ギランだが・・・、」(P245)
「私は、ある大手証券の新入社員から、 『 会社に入ってしばらくすると、どんな国際的な大事件でも、すぐにこれで株価は上がるか下がるかを考えるようになるのですね」 と言われて、言葉に詰まったことがある。たとえば、人間の死でもそう考えるというのだが、・・・・・。  これは書くべきだどうか、といった青臭い問いを発することはないだろう。・・・・・。  ミクロに埋没してマクロが見えなくなっている。・・・・・。  こうした、いわば”構造論議”に踏み込まない体質が、・・・・・。」(PP..296−297)
「リクルートは、 『 広告 』 に 『 情報 』 という名をつけて売った。日経は果たして、 『 広告 』 と 『 情報 』 の区別はついているか。・・・・・。  その言い方を借りれば、 『 日経 』 の記事は 『 情報広告 』 かもしれない。 (P300)
「・・・、死ぬのは真実である。真実をいうと袋叩きにされるし、かといって、うそも言いたくない場合はどうしたらいいか。・・・、ある人がこう教える。 「まあまあ、この子は何てまあ、いやどうもハッハッハッ、ヘッヘッヘ」といったらいいと。
 『 魯迅評論集 』 (岩波文庫)の編訳者・竹内好は、魯迅の思想を次のように要約する。 『 苦しくなると、とかく救いを外に求めたがる私たちの弱い心を、彼はむち打って、自力で立ち上がるようにはげましてくれる。彼が取り組んだ困難にくらべれば、今日の私たちの困難はまだまだ物の数ではないのだ。これしきの困難に心くじけてはならない。ますます智慧ををみがいて、運命を打開しなければならない。魯迅は何ひとつ、既成の救済策私たちに与えてくれはしない。それを与えないことで、それを待ちのぞむ弱者に平手打ちを食わせるのだが、これ以上あたたかい激励がまたとあるだろうか 』」(PP..308−309)
『 日本を撃つ 』 (岩波書店、1994年)
「・・・この女は、一兵卒である自分にあたたかい。ともに身の不幸を嘆きはしても 『 死ね 』 とは言わない。・・・・・。だが、いまの世の女たちは、母も、姉妹も、恋人も、友人も、みんな 『 勇んで戦争に征け。そして名誉の戦死を死ね 』 と言う。言わないでも・・・。自分はもう、愛を口にする女を信じない」
「同じように国家に棄てられた者として、あるいは国家の犠牲になる者として、とにかく生きるのだ、死なないことが復讐なのだという思いが・・・。」
「私はまだ戦争は終わっていないのだという思い。物理的にも精神的にもさまざまな思い傷痕を残しているという意味でもそうだが、企業戦争というふうに形をかえて・・・。」(PP..3−4)

「 『 竹内好は 『ドレイとドレイの主人は同じものだ 』 という魯迅のするどい警句・・・、ドレイは、人に所有されることによって、自由ではない。しかし、ドレイの所有者もまた、所有することによって自由ではない。したがって人間の解放は、ドレイがドレイの主人にのし上がることによってではなく、人が人を支配する制度そのものを改革することによってしか実現しない、と述べているが、・・・。」(P.10)
「日本人は、アジアの人々に対して、対等とはいえない過去をもっているのであり、どんなに謙虚になっても謙虚になりすぎることはない。」(P.46)
「佐橋(磁)の 『 異色 』 は非武装中立を主張したことにあった。 『 私の非武装中立の督促は、理論や思想ではなく、日本が現実に非武装を実践してみよ、そして平和の実験国家になれというところにあるのですが、したがってまた、わたくしに対する反論は、日本民族をモルモットにする気かとか、日本国を滅亡させるものであるとか、佐橋のようなキャリアを経たものにしては単純すぎるという批評になります 』
 佐橋のような非武装中立論の背景には、自らの兵士体験があった。・・・わずかにその下の中曽根康弘ら、兵士体験を経ずして指揮する側に回った人間が、これを空論として退けるのは興味深いコントラストだろう。  私は非武装中立論が有効性を失ったとは思っていない。今こそ、その輝きを増している、と思っている。」(PP..124−125)

「 『 働くことは暮らすことと同様に、生きていくそのもの、人としての基本的な営みだと思います。だからこそ、働くことは喜びであり、誇りでありたい 』」・・・・・。そうした願いがかなえられる会社があるか。(P.142)
「・・・、たけしの口からはよく、 『 正直 』 が発せられる。 欲望に従って行動して何が悪いという欲望自然主義であり、それが 『 反省 』 したり、今の自分を 『 変革 』 したくない多くの日本人に受け入れられる。・・・・・。 とにかく、自分に都合の悪い過去は忘れたいのである。それが日本人の忘却病に合致するのだろうか。」(PP..158−159)
 「この 『 いちずに一本道 いちずに一ッ事 』 (佼成出版社)は、・・・・相田(みつを)の遺稿集である。
じぶん
背のびする
じぶん
卑下する
じぶん
どっちも
やだけど
どっちも じぶん
 この散文詩めいたものに象徴されるように相田の本に感動する人たちは 『 自分教 』 の信者である。 ただ、その 『 自分 』 は、たいてい、社会と関わりをもたず、修養を積んだリッパな 『 自分 』 が多くなれば、社会は自然とよくなるという楽天的な考えに立つ。」(PP..178−179)
「それに対して私は、問題の拙著の別の項の 『 若い人がもの知らずにアレコレ言うのを恫喝したら批評精神は死ぬ 』 という木下恵介の言葉を、ただ読み返すだけです、と返事を書いた。」(P.189)
『 佐高信の異論武装 』(徳間書店、1996年)
西部(邁) 「・・・、左翼が何らかのイデオロギーを信じたフリをしなければ一日も生きられないような極限状態に追い込まれていく。・・・・・。」(P.23)
(「激論! 日本の欠陥を暴く」)

佐高 「昔、私の兄貴分の奥村宏さんが自分は代案を出さない、批判に徹するんだと言っていた。私もジャーナリストは、その通りだと思って、そうやってきた。ところが先日、奥村さんに会ったら、 『 最近はそうでもないんだ 』 って言うから、ちょっと待ってよって思ったんだけど。」 ・・・・・。
佐高 「・・・、ディレクターが来て、問題が起こると喋らせるでしょう。 『 それで、どうしたらいいんでしょう 』 って。ものすごく手軽に言いますよね。例えば二〇年間ずっと悩んでいる解決しない問題を三分で説明しろと言うの?・・・。」
田原 「 『 朝生 』 に対する批判も、ずっと一貫していて、そこなんだ。結論がないという。・・・・・。そこで僕は、じゃあ、結論ってなんだと言いたい。例えば天皇問題や磁自衛隊問題、憲法の問題にしても、何十年と論じて、なおかつ結論が出ない問題問題でしょう。大事なことは、何が問題で、どこが問題かという点に対して、どこまで迫っていけるかということが、一番のテーマであってね。結論なんかは自分で考えろ。そんなものは、たった四時間や五時間の討論で、結論が出るほど、そんな甘っちょろい、いい加減なものを俺たちはやっているんじゃないと言いたいの。でも、すぐに結論を出したがる。」
佐高 「・・・あいつは批判ばかりだと。だけど、世の中はものすごく安直に答えを求めている。例えばサラリーマンにしても、・・・私はものすごく自分の平穏を掻き乱す奴と映るんですね。
(「ジャーナリズムは 『 未来 』を語るな!)

「あの人(住井すゑ)は人間は差別しませんが、男を差別しているんですよ」と永(六輔)さんは笑っている。 永 「・・・・・。もう一度言うけれども、生まれた時代のタイミングで、損得がわかれますね。」(P.67)
永 「・・・朴慶南は 『 日本人が朝鮮人を嫌い、朝鮮人が日本人を嫌ってもいい。ただ、嫌いだから喧嘩するのがよくないんであって、嫌いなのは、悪くもなんともない 』 と言うんですね。それを言われて、僕は、ホッとしましたよ。」(P.72)
(「屈折や転向こそ大往生の糧」)

「オキナワ、そして、ヒロシマ、さらにカンボジアと、大石(芳野)さんはこだわっている風を見せずにこだわる。  これはとても難しいことで、どうしてもみんな、 『 こだわっているぞ 』 と力みをみせてしまうものである。 ・・・・・。  大石さんはマジメすぎず、ふざけすぎず、自分の歩幅で対象に近づいていって、語りかける。(P.98)
佐高 「弾けそうになるときもありますでしょう。」
大石 「ありますよ。もうやめたいと思うこともありますし・・・・・。ただこの仕事の宿命みたいなものがあって、知らせるということが私の役目で、私がどうのこうのというのはさして重要じゃないんです。”悲惨”というか、ある状態の人がいて、怒りも感じるような原因であれば、それを伝えることは私の役目なんです。 ただ単なる個人的な悲しみを超えて怒りをも感じるような、そして同じ時代に生きていてそれを知らないことは問題だと思うような内容の”悲惨”がそこにあれば、私が伝えることは私の大きな役目だと思うのです。 だから伝えようとしますけれども、その時の自分が駄目になりそうになるというよりも、対象が駄目になりそうになっているわけですから・・・・・。 『 ここにこんなすごい人たちがいるのに、どうして放っておくことができるのかしら 』ということですね。 私は医者ではないけれども、きっとお医者さんもそうだと思うんです。自分は多少辛くても、患者が目の前にいたら、その人をそのまま放って自分だけがグーグー寝ているわけにはいかないでしょう。」(PP..106−107)
佐高 「それは、肉体的ヘタリこみですよね。精神的ヘタリこみはどうですか。私は、しょっちゅうへたり込んでいるから。」
大石 「お化けを対象にしているわけではないですから・・・。」
・・・・・。
大石 「・・・・・。同じ人間じゃないですか。その人の悲しさとか苦しみの背景に怒りがあったら、やっぱり放っておけない。
佐高 「それを伝えるこっちも人間でしょう?」
大石 「それは仕方ないですよ。私は限界の中でしか伝えられない。・・・・・。私の線が細ければ細い線でしか伝えられないの派、仕方ないですね。」
・・・・・。
大石 「・・・・・。私にはこの能力とこの体力しかないので、こういう伝え方しかできないと、いつでも思いますね。」 (PP..107−108)
(「アジアから復讐される日本」)

佐高 「業界誌では、そういう両面を見ました。両方の側面を見なくて、一生懸命正しいことばかりを言いたがる人がいるでしょう。私は、両面を見ている人がどうかを見抜く感覚を、業界誌で身につけたような気がします。」(P.166)
・・・・・。
佐高 「屈辱感と言うか、我慢すると言うか、身をかがめると言うか、そういうことがなく得られる知識は、あまり大したことないですね。」(P.174)
(「さまざまな人間に触れた青春彷徨」椎名誠との対談)

「二度しか会っていないのに、けっこう気が合った爆弾コメディアンのTAMAYOは、日本の現在のお笑いは 『 弱い者イジメ 』 的な要素が強すぎるとし、 『 コメディアンの神髄って、私たちの中にある、こりかたまった固定観念や先入観を笑い飛ばして、ひっくり返すことにあるのに、よけい固めてどないすんねん 』 と批判している。 (P.284)
辛口評論家と言われる佐高氏の本6冊を、一晩で一気に読んだ。 中途半端な批評はあまりない。 友人であろうがなかろうが、筋が通らないと思うことにに関してはするどく切り込む。 自分の弱さを認めた立場での批判だけに、少しもたじろぐところがないようだ。うなずける点はたくさんあるが、では、果たして自分も彼と同じような強さをもてるかと考えてみると、それほど自信がない。
中途半端でない彼の姿勢は大いに刺激になる。
まだまだ青臭くなろうではないか、って自分に言い聞かすことができた。