小田実 『 これは人間の 『国』か 』
( 筑摩書房 1998年)


「自由人」と「国家人」

「この20年前の司馬氏と晩年の彼は根本的にさえ違っている。最後の著作『の国のかたち』で彼は書いた。『若い一時期、自分はヒトとして生まれてきたのだ、と懸命に思おうとした。・・・・・」
・・・、晩年の彼の場合、その歴史は『人類』の歴史でも『住人』の歴史でもなく、ただの国家の歴史だった」(P.25 ll..11−17)

「不思議な歴史観の定着」
「・・・私自身もふくめて多くの人が書いて来たことが若い世代に一向に継承されていないことだ。・・・・・。そしてまた、戦争にあっては、被害者は被害者であるにもかかわらず、加害者になるのではない、まさに被害者であることによって加害者となる。戦争の問題を考えるなら、この『被害者』=『加害者』の連環を認識の根本におくべきだ−・・・。
中村氏はこの本(『国境を越えた若者たち』)のなかで、日本の過去について、被害者の視点で書かれた歴史と「パワーの論理で押し通す」加害者の視点で書いた歴史があり、2つは『交わる瞬間がない』と書いていた。しかし、現実の歴史の展開のなかでは、この2つの歴史は一個人の運命のなかで強権の力で強引に結びつけられ、『被害者=加害者』の連環を形成する。それが戦争なのだ」(PP..40−41 ll..12−2)
「人間の尊厳」と「ゼニがなけりゃ」

「『私は、呆れたように、連日報道まみれのくらしをした』『感動し続けたのは、ひとびとの表情だった。神戸だけでなく、西宮、芦屋など摂津の町々のひとたちをふくめ、たれもが人間の尊厳をうしなっていなかった』『暴動の気配もなく、罵る人もすくなく、煽動者も登場しなかった。たとえ登場しても、たれもがのらなかったろう』『ひとびとは、家族をうしない、家はなく、途方に暮れつつも、他者をいたわったり、避難所でたすけあったりした。わずかな救援に対して、全身で感謝している人が圧倒的に多かった』(引用は『風塵抄』による)
引用したのは、この司馬の被災地認識が投じ横行した被災地認識であったからだ。・・・・・。関西の庶民はやはりたくましいですよ。あんななかでも笑っているのだから−テレビの場面を見て多くの人が言った。
私あこうした被災地認識に違和感をかつても今ももつのは、あたかもただ黙って耐えることが、苦難を笑いにまぎらわすことが日本人、関西人の特性だとし、それこそが『人間の尊厳』ととらえる風潮がそこに読み取れるからだけではない・・・。被災者のひとりとして言えることは、司馬が大災害に「呆れた」のなら、私たち被災者は彼以上に大災害に、そこに露呈された「棄民」の政治に、ことの本質に迫らない報道にまさに呆然としていた。 ・・・・・。
私たちは『家族を失い、家はなく、途方に暮れつつも、他者をいたわったり、避難所でたすけあったりしていた』。それは、そうするよりは他になかったからだ。『わずかな救援に対して、全身で感謝している人が圧倒的に多かった』。その通りだ。しかし、それを人は怒りを込めてしていた。怒りを底に持ちながら、感謝することで私たちは耐えた。そこに『人間の尊厳』があった(PP..60−61 ll..11−15)

「常識外れ」と勇気の欠如、不足

この『常識外れ』の結末は政治家だけのことではなかった。『平和解決』を陰に陽にに求めてきた新聞、テレビジョン放送なども、その多くが(ペルーの日本大使館の人質)一夜にしてかわった『武力解放』支持の『常識外れ』の結論を出していた。ここで『平和解決』をなおも主張して・・・・既成事実優先、追随のこの『感謝決議」、あるいは、『感謝決議」的報道はまさに『事情判決」(『二風谷ダム訴訟』での『事情判決』)ならぬ『事情決議』だった。
『平和解決』の主張は、人間の生命を何ものよりも貴しとする常識に基づいた主張だ。・・・・・。
ただ、この主張、そして、その根底にある人間の常識をまっとうするには、それを人間の常識としてありつづけさせるためには、事態の何がどうかわろうが、『時代の流れ』がどう動こうが、既成事実がどうつくられようが、バスに乗りおくれようがどうしようが、一貫して常識を持続して持つ人間の勇気が要る。それがあってはじめて、常識は常識として生きる。
・・・・・。日本人は戦闘にさいしての『肉体的勇気』は『溢れんばかり』に持っていた。しかし、『彼らの精神は論理を知らなかったが、それにもまして欠けていたのは、精神的勇気だった』。だからこそ、人々は平和を望みながら、そう主張しながら戦争に入っていったのだとギラン(仏・ロベール・ギラン)は言う(PP..77−78 ll.. 5−7)

激しい親近感」
「丸山さんも、・・・つづけて書いていた。『・・・、こうした言葉をもう少し控えめ目に用いるかもしれない。しかし私は歴史における逆転しがたいある種の潮流を識別しようとする試みをまだあきらめてはいない。私にとって、ルネッサンスと宗教改革以来の世界は、人間の自然に対する、貧者の特権者に対する、『低開発側』の『西側』に対する、反抗の物語であり、それらが順次に姿を現わし、それぞれがほかのものを呼び出し、・・・・・。われわれはまた、なにか神秘的な実体的な『諸力』の展開として、歴史を解釈する試みにも用心すべきであろう。けれども、われわれが言葉のプロパガンダ的な使用にうんざりするあまり、人間の能力の一層の成長を胎んでいるような出来事と人間の歴史の『時計の針を逆にまわす』意味しかもたない出来事とを見分ける一切の試みをあきらめてしまうならば、それは、情けないことではあるまいか』
この文章で特徴的なことは主題の『私』が突然 『 我々 』にかわることことである。・・・・・。そして、そこで激しい親近感を感じ取るのは、私自身がまさにそうしたものとして人間の歴史をとらえて来ているからだろう。・・・・・。私という『私』をふくみ込んでの『われわれ』だ。
『長期的』な愚舌等々に怒り、呆れ、嘆息し』たことを書いていた。それはまったく私が感じ取り、怒り、呆れて来たことと同じだったが、被災地の外からすぐこうした怒りを伝えて来てくれた人は彼ひとりだった。もちろん、彼の怒りは 『 マス・メディア』だけにむけられたものではない。私は手紙に元気づけられるとともに激しい親近感をまた彼に持った。『われわれ』がいる。その感じであった。その感じは私を元気づけた。(PP141−143 ll..13−12)
「常識の怒り」

加藤周一氏の言論が常に明晰なのは、それが根本のところで常識に基づいているからである。言論の基底に常識があって、たとえどんなに難解なことを論じていようと、彼の言論は判る。
常識はもとより『クイズ番組』の知識のたぐいのことではない。人間が長い文明形成の歴史のなかでかたちづくって来た、それを欠いては人間は人間でなくなる、文明が文明の名に値しないものになる人間の知恵の蓄積である。人間はおたがいちがうし、文明発展の歴史もとき、ところによってちがう。しかし、この知恵の蓄積は違いを越えて、人間全体、文明全体にあいわたって存在するものとしてある。その常識のもつ普遍のゆえにこそ、加藤氏の言論は誰しにも判る。
常識には、たとえば、その生物体としての構造、機能から言って、人間は百メートルを一秒で走ることはできないという認識、判断がある。あるいは、人間は困ったときに助け合う、人間は人間を殺してはならない、の倫理がある。こうした常識としての認識、判断、倫理の蓄積あって、人間は野蛮を脱し、排し、文明を形成してきた。
もちろん、こうした常識に対して、なせばなる信念を吐露し、百メートルを一秒で走れないのは走ろうとする意欲がふそくしているのだ、ようするにグウタラなのだとシッタ激励してシゴキをやってのけることもできるし、オリンピックでの名誉=金儲けに徹してドーピングに没入することも、走行靴の工夫に万金を投じることもできないことではない。そして、こうした努力がクスリ産業の発展、製靴工業の成長に寄与し、国家経済全体の成長を大きくうながすことも十分にかんがえておいていいことだ。あるいはまた、次のようなこともkれまた十分にあり得ること打労。百メートルを一秒で走れる、走りたい。この夢が想像力の飛翔を喚起して、みごとな詩となり絵画となった ─ そんなこともあり得るし、実際いくらもあって来たことだ。
加藤氏は、人間は百メートルを一秒で走れないn常識に基づいて言論を展開しながら、こうした人間性の可能性を斥ける人ではない・・・。ただ、可能性の中には、世の他のすべてのものごと同様、くだらぬものとすばらしいものとがある(・・・・・)。加藤氏は、可能性をただその名の下にまるごと肯定するのではなく、可能性の種類と質をみきわめようとする。そのみきわめの根拠は、それがいったい人間にとって、人間がつくり出し、維持してきた文明にとって何んの意味があるかということだった。彼はこの一事に根本のところでかれのみきわめの根拠をすえているように見える。この判断に基づいて、ドーピングへの没入、走行靴の工夫への万金の投入は、それがいかにクスリ産業、製靴工業、ひいては国家経済全体の発展に寄与すること多大であろうと、それはブカツにおけるシゴキ同様、文明よりもはるかに野蛮に傾斜した所業だとかれは見ているにちがいない。そして、想像力の飛翔は、もちろんそのすばらしいものについて言うことだが、それがいかに一見コウトウムケイ、馬鹿げたものに見えようとも、人間にとって大いに意味があることでもあれば、文明の欠くべからざる一事業とみてとっている。かれの政治、経済から文芸に至る言論に接していると、つつづくそういう気になって来る。・・・・・。
人間は困ったとき助け合う─の常識としての倫理について、世界はそんなふうにうまく行くものか、現にうまくいっていないではないかと甘チャンぶりをわらうことはたやすくできる。しかし、笑ったところで何ごともことはまえに進まない。人間は、人間は困ったとき助け合うものだの倫理を常識としてもちつづけ、ことにさいして実践することで事態を少しはよくし、正すことができる。倫理をそう認識することも、これまた常識のひとつだ。
人間は人間を殺してはならないの倫理に対しても、いや、正義のためには殺さねばならぬと主張することはできる。この主張の行き着くはてが、戦争の遂行者のがいつも叫びあげる『正義の戦争』だが、この大儀名分は、人間は人間を殺してはならないの倫理の歯止めを欠いてはたちまち収容所のガス室での、核爆発によっての大量虐殺に至る。世界の歴史はあまたそうした事例に満ちているが、ここでひとつ言っておきたいことは、人間は人間を殺してはならないの倫理を否定して行けば戦争の無限肯定、大量虐殺に至るが、逆に肯定して徹して行けば、戦争の無限否定となることだ。どちらの道がいいか。後者をとるのがいいに決まっている。じゃあ、後者の道を行け、歩め。つまり、これが常識だ。この常識が加藤氏の言論の根底にある。
わたしが加藤氏の言論に我が意を得たり・・・、私の言論も常識に基づいているからだ。いや、たえず、彼にならって、そこからことを出発させようとする。しかし、共感はそれだけではないような気がする。彼の言論には、全体を通して、世の非常識、反常識に対しての怒りがあるように思えて、その怒り─常識の怒りの通底が私の心をとらえる
加藤氏はただ客観的にことを論じているのではない。ただそのことだけを目標として事態の理非曲直をあきらかにしようとしているのではない。常識外れ─非常識、反常識がいかに人間を苦しめ、文明を破壊するかに彼は常識に基づいて怒り、それをなんとか正そうとしている。その怒りは彼個人の怒りでありながら、人間全体にあいわたる普遍をもった怒りで、それゆえ私にも共有できる怒りだ。私が彼の言論に共感するのはまさにその共怒あってのことだろう。そこでの怒りは、常識の怒り─人間が人間なら当然もつ怒りだ。
(PP..180−183)

「あなた=あなたの名前は何か」

「場合によっては、何らかの理由によって、『どんづまりの向こう側』に強引に力づくで出されてしまった・・・あなたがどんづまりのこちらにいて、むこう側にいない、つまい、むこう側のあなたになっていないことは、すべて、まだ、もし、もう、のきわめて危なっかし三つの要件にかかっていることだ。
あなたとななた、ということは、つまり、だれでも、といことだ。誰でもが、、こちらの側のあなたなら、どの誰でもが、どんづまりのむこう側のあなただ。それはつまり、世界のすべての人間、ということだろう」(PP..194−195 ll..8−7)
「人間はふつう人間として虐殺されないものだ、人間社会に不必要な下等人間として、非人間として虐殺される。ナチ・ドイツの虐殺の前提としてあったのは、その論理だった。論理は必要におうじて、虐殺すべし、の倫理ともなった。今人間に感染する危険な病気がこの家畜の集団に発生している」(P.198 ll..9−12)
「・・・・・。いや、そもそも世界の外へ出ていこうとしている、その行為のゆえに、彼はもう人間でなくなろうとししている。その人間でなくなろうとしている人間に名前はあるのか。いるのか。
この名前に一点にいろんな問題が凝縮しているにちがいない。朝鮮戦争、ベトナム戦争という戦争の問題、戦争を引き起こし、この青年にこうした運命を強いて来た国家の問題。戦争、国家の問題は、凝集して、彼を世界の外へ放り出し、人間でなくそうとしているのだが、さて、この人間の名前は何なんだ!
ところで、もうくわしく書く必要はないだろう。まだ、もし、もう、 の三要件をいれて、あなたのことを考えてみてくれたまえ。あなたはいまたまたまこの青年ではないのだが、それは、いつ、どこでも、彼になるということで、彼になったあなたは、彼同様、世界のどんづまりに立って、いや、立たされて、世界の外へ出てしまったら、いや、出されてしまったら、それはもう人間であったあなたが人間でないあなたになったことだが、そのあなたの名前はなんなのか、いや、そのあと、あなたがまたたまたたまどんづまりのこちら側に立ち戻って、それはこれからあなたがあなた=あなたとして生きること、生きるよりほかにないことだが、その、あたな=あなた、の名前は何か」 (PP..198−200 ll..10−16)

「異者の眼」

「・・・しかし、『異者』はただ見られるだけの異物ではない。『異者』はそれ自体が見る力をもち、その力で自分を見る者を逆に『異者』として見返すことによって『異者』は『異者』としてある。・・・、私はいつも『異者』を見るとともに『異者』として見られた。この関係のなかで、私は『見る』こととともに『見られる』、さらには『見返す』ことの重要性を認識、体得した。『見る』=『見られる』=『見返す』関係は、差別、支配、抑圧、対立、衝突、闘争ともなれば、和合、協力、共生、さらには愛をも形成するが、その本質は元来、対等、平等、自由なものだ。いや、関係をそうみきわめること──それが『異者の眼』でもあれば・・・」(PP..206−207 ll..12−1)

「日本の市民としてのアジアの未来を考える」

「私の侵略、植民地支配についての考え方ははっきりしている。それは弁解の余地のない悪だということだ。他人の土地に攻め込んで、殺し、焼き、奪い、そのあとそこに居すわって、土地の住民から自由を奪って居つづけ、力ずくで収奪、差別をつづけながら利益をむさぼり、住民を貧困に陥れるというようなことは、日本がやろうが西洋がやろうが、自由主義諸国がやろうが社会主義革命の国がやろうが、蒙古、中国、ベトナム、トルコがやろうが、民主主義発祥の地の古代アテナイがやろうが(・・・・・)、そこにつけられた大義名分、あるいは口実がキリスト教、文明の伝播、社会主義の実現、民主主義、自由の擁護、もちろん、アジアの解放であろうと(その口実、大義名分の下で行われる侵略、植民地支配は、その口実、大義名分を台なしにするどころか、逆にそものおのはじめから、口実、大義名分がマヤカシであった事実を明瞭にする)、人間としても、国家としてもやってはならない、弁解の余地のない悪だ 」(P.245 ll..1−12)
「・・・・・。しかし、最もかんじんの問題は──私は彼らに言う。誰もがやったことだと言って、侵略、植民地支配はいいことか。西洋諸国がどう考えるかは彼ら自身の問題だ。西洋諸国が侵略、植民地支配を悪だと考えるなら、彼らは自分で自分の悪を正せ。彼らがおろかでないなら、謝るだろうし、謝らないのならおろかなだけだ。あなたはどうするのか、問題は彼らの問題ではなく、日本自体の問題であり、何よりもまず、あなた自身の問題だ。」(P.146 ll..12−17)
「私の考える『市民社会』の定義は簡単だ。その社会の構成員である個人が、民族、国籍の別を越えて、老若男女、たがいに差別されることなく、対等、平等、自由に、そして安心して平和に暮らせる、その土台となる制度(・・・・・)と『空気』(・・・・・)をしっかりもち、その社会がうみだす富もまさに社会形成のためにつかう社会──それが『市民社会』である。・・・・・。・・・実現を自分の問題、課題としてそれぞれに自らの自由な意志に基づいて努力することはできる」(P.149 ll..4−15)
「・・・すべてがまず、自分の社会、国家の問題としてあったことだ。・・・・・。民主化を阻み、民主化を求める人びとの動きを弾圧する軍事独裁政権と結託する日本自体の国家のありかたの問題だった」(P.250 ll..1−3)
「資本主義は美辞麗句をはぎとって言えば、『弱肉強食』の原理だ。世界が『一極構造』の資本主義世界になった今、『弱肉強食』は徹底して行われつつある。確かに、全体の『パイ』は大きくなっているかも知れないが、富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなり、格差、差別、貧困、腐敗、紛争、争乱もまた世界全体に大きく広がりつつある。この事態のなかで、国際的に優位に立つのはもちろん『先進国』諸国だが、これらはたいていが過去に侵略、植民地支配を行った国々だ。それら『先進国』諸国は内部でそれ自身の弱者を切り捨てるとともに国際的にけいざいの枠組みを大きく広げて、問題、矛盾をより弱い側へ転嫁することで、『弱肉強食』を強力に実行しながら自らの優位を続けていこうとする」(PP..254−255 ll..9−1)

小田氏は自分の書き物の基底に「戦争」「戦後」「大阪」があるという。では、私は自分が写真をと撮る基底に何があるんだろうか。自分の行動の動機を再認識させられた。自分自身のその基底は分かっているのだが、書き記す勇気がない・・・悔しいが。 そこまで強くなれないのだ。さらに、書き写していて、その思慮の深さと行動の激しさに、圧倒されて、途中で作業を中断せざるを得なかった。その昔読んだ『何でも見てやろう』とはやや内容の重たさが違う。ええ歳のとりかたをしている人である。もう一冊読んであらためてこのページに追加しよう。