『寄りかかってはいきられない』 他
千葉 敦子 光風社 1983年
 195P


「なんであれ、変化というものは痛みを伴います」(P10)

「『選択できない人間関係』はなるべくつき合いを最小限にすべきだと思いませんか」
「自分と違う人から私たちは学ぶことが多いことですから」(P34)

「会社の上役や、血のつながった人々には必要以上の気くばりをみせるけれど、アジアの難民やアフリカで餓死していく子供たちには、何の援助も差し伸べようとしない日本人をほかの国の人々はどう見ているでしょうか」(P47)

「敗戦後、日本では経済至上主義が社会を支配してきましたが、その歪みが家庭や教育に現れたのです」(P74)

日本人の男性の9割くらいは、日本の社会体制が他の諸国よりも秀でていると信じているんじゃないでしょうか。彼等の読むものが非常に限られているのと、自分の住んでいる社会とか勤めている会社に疑問を持ち始めたら怖いという『臆病さ』 が原因なのではないかと・・・」(P92)

「情報というのはいくら豊富にあたって、活用する側にその気がなければ、ただの紙屑と同じなのですから」(P93)

「たとえ、どんなに貧乏をしようと、ひとりぼっちになって寂しかろうと、人間としての誇りを踏みにじられて中流の生活をするよりは・・・自分にとって本当に何が一番大切なのか、をよくよく・・・・・。外から見て、『幸せそうに見えること』ことの方が、真に自分が幸せなことよりも大切なのかどうか。・・・あなたの人生はあなたのもの、誰がどう評価しようとも、あなた自身の評価が一番重要なのです」(PP.100−101) 

「職業生活から得られるもう一つのメリットは、計画性が養われる・・・」
「苦しくとも意味のある仕事を探し出さなければ、人生はただ生きているとうだけのつまらぬものになってしまいます}(P120)

「最初から挑戦もしないで、与えられるものだけを受け取っていたのでは、何事も前進しないものなのですよ。なんの努力もしないで文句ばかりいっている・・・」(P122)

「小さな身の廻りの空間だけでなく、世界を見渡して行動して欲しいものです」(P124)

「間違った選択をしてしまったら、勇気を持ってやり直すことも大切です」(P148)

「人生にはいくつもの困難が横たわっているのであり、一つ一つの経験を自分の栄養にして私たちは育っていく訳ですから」(『ニュー・ウーマン』 P60)

「自分が自分自身の人生の主人公であり得ること」(同上、P240)

「友人は、人間の持ち得る最も貴重な財産だと思います。・・・インフレで目減りすることもないし、泥棒に盗まれることもなく、管理には誠実さ以外何もひつようとしない・・・。友人の眼をとおして私自身の人生が広がる・・・」(同上、P248)

「人生を与えられたものとして受け身に生きるのではなく、自分自身の手で切り開き、計画を立て、ひとつひとつ実行している・・・・・。積極的、計画的に生きるためには、生活全般にわたる計画性と積極性が必要です。自分の日常生活をキチンと管理できない人に会社や国家の運営を任せておけないのです。日々の暮らしをないがしろにしている人に天下国家を論じてもらっては困るのです・・・」(同上、P272)

「・・・、そこから抜け出す力を私に与えてくれたのは、いつも『世界は広いのだ』という認識でした。・・・人生の最も困難な時期にも絶対に落ち込まない・・・」(『ニューヨークの24時間』、P208)

「・・・あなたの愛する誰かがあなたより先に死ぬでしょう。苦痛や悲しみや恐怖の体験を通して、私たちは成長するしかありません」(同上、P214)

「成長したいと思ったら、知らない世界へ旅することを避けるわけにはまいりません。隅から隅まで知り尽くした環境に居座っていたのでは、成長はむりですからね」(同上、P224)

12年前、米国から帰国した私が、これからどう生きようかって考えていたとき、たまたまであった本(『ニューヨークの24時間』)の著者の一冊。87年7月10日、ニューヨークでガンで亡くなったが、最後の最後までジャーナリストとしての仕事をやり遂げた。個人的な切り抜きファイルの中でも、人物のファイルをきちんと作っているのも彼女の分だけである。彼女の著作を何冊か読んで、人生の節目に色々と考えさせられた。人生訓っぽいところも多々あるが、私の生き方に影響を与えたという点で、お薦めの本である。