『 マーチン街日記 』 (中央文庫 )
犬養 道子 1979年

「これまでの生活様式からの隔離である。慣れからの隔離である」・・・『 自分の 』 世界からの隔離。 『自分の 』 生活リズムからの隔離」
「アメリカに来たのはよかった。人間は、生活リズムや 『 自分の世界 』 や、築き上げた地位基盤などによりかかり、それらの中に心地よく安住する安易さから、たえず自分をふりほどかねばならぬ」(P10)

「書物とは、よむひとの成長や変化をはっきり見せてくれるものである」(P24)

「日本の場合、・・・ 『 家 』 がつねに 『 個人 』 に優先する」(P58)

私たち人間は体験の動物だから、自分の体験を土台としてまず物事をみてしまう」(P61)

「自由なる人間は、自由なるがゆえに法と秩序という 『 不自由 』 の枠の中に身をおく・・・枠なき自由はついに自由たり得ぬ」(P90)

「だが、結局人間とは淋しい存在であり、『たった一人』なのである」(P106)

「自分の中に巣食う虚偽と対決し、安易安寧をさけて、『ホンモノ』になれる日を・・・」(P107)

人間関係を傷つける最強のモノ − 無関心
人間を無惨に殺すもの − 無関心」(PP.123−124)

「偽善は人間にとって容易である」
「そしてまた内面の偽善を自らごまかし自ら忘れることも容易である」(P149)

「現象のみを突ついても、本質はわからない」(P171)

「愛着と執着−土地に対し、その土地のしきたりや生活条件に対し、その土地に昔から生きてきた先祖の生き方に対しての愛着と執着というものが、日本文化の中の、一つの大きな要素である。・・・ 『 安定 』 は、転々と動く生き方の中にも、いや、そういう生き方の中にはより強固に、あるのではなかろうか。なぜなら、その場合、 『 安定 』 の土台となるのは、『自分の能力』高らである」(P232)

「マーチン街」は、米国ボストン(ケンブリッジ)に実際にある通りの名前だ。
私がボストンに住んでいたとき、密かに探し回った通りの名前でもある。氷点下数十度にも達するニューイングランド地方での冬、外出もおぼつかなかった。
そんなとき、「なぜ、どうして」と考えるヒントを多く与えてくれた本であった。
「 無関心 」 という文言にはドキリとさせられた。