トルコ大地震

−阪神大震災から生まれた民間救助犬 世界で活躍−

 松崎直人(27歳)の手は、救助犬ドイルの頭を優しく撫でている。ドイルは気持ちよさそうに目を細める。すぐ横では弟の直人(25歳)が、足に包帯を巻いているもう一頭の救助犬R・Jをいたわっている。2人と2頭。救助活動で疲れ切っているのか、あるいは救助要請が出るのに待ちくたびれたのか。無言で時を過ごす。場所はトルコ・ヤロバ市。
 新しい年を迎えて、過去の悲しい出来事は、思い出として記憶の片隅にしまっておきたいもの。自然災害のため、毎年どこかで尊い人命が失われている。また、天災というよりは「人災」によって命を失った例も多い。忘れたいと思う記憶と、忘れてはならないという気持ちが交錯する。
 身近で起った五年前の阪神大震災の記憶が薄れていく中、昨年、台湾や遠く離れたトルコで起った震災の話題も少なくなってきた。
 埃舞う地震災害の現場で昨年、多くの悲しみに遭遇した兄弟がいる。「日本レスキュー協会」所属の、松崎兄弟と救助犬たちである。
 彼らは昨年6月、広島県安佐北区の土石流災害の救助に出動したのを皮切りに、8月のトルコ地震、9月の台湾大地震、さらに11月再度おこった大地震と、4度の災害救助に同協会から派遣された。
  二人の記憶に一番強く残っているのは、地震の規模と被災の大きさ、救助活動の回数の多さから、8月のトルコ大地震を真っ先にあげる。
 地震発生直後の4日間、トルコ軍の救出活動は、犠牲の多かった民間人よりも軍関係者の方を優先させた。一方、外国の救助隊の捜索・救助活動の活躍は、テレビや新聞で大きく取り上げられていた。そのため、トルコ政府の救助活動の不手際を避難する声があがった。
 自国の救助隊の陰が薄くなったと感じたトルコ政府は、公式な要請を受け入れて、現地入りしていた外国救助隊に、現場での捜索要請を出さなくなっていった。
 夕暮れが近づくと、ショベルカーやダンプの音は小さくなり、けたたましいサイレンを鳴らす緊急車両は激減し、喧騒の町は静まり始める。埃まみれの町は暗闇の町へと変貌する。
 ドイルとR・Jを連れて現地に乗り込んだ2人には、あらかじめ現地での受け入れ体制があったわけではない。不案内な地理と通じない言葉。野営場所の確保と犬の世話。手弁当で駆けつけたボランティアの民間団体のため、公的な補助はない。活動すればするほど出費がかさむ。個人の寄付・賛助金だけが頼りの団体。救助活動以前の障害をいくつも乗り越え、人命救助に熱い汗を流す。
 2人と2頭は8月22日、ヤロバ市で活動を共にしていた日本の救助隊が早々と撤収した後、被害が最もひどいといわれるアドパザル市へと向かう。
 「生存者がいる」。その情報をもとに23日午後6時過ぎ、彼らは倒壊現場に入った。高層の建物が崩れ落ち、10メートル近くにもなった瓦礫の山に登った2人は早速、ドイルとR・Jを使って生存者の確認作業に入る。
 2頭の犬が、ある特定の場所で生存者の反応を示した。瓦礫の中にもぐり込んだドイルが吠えた。実践の捜索訓練を1000回以上受け、生存者を確認できたときにだけ吠えるように訓練されていたドイルが吠えたのだ。 「犬が反応を示したぞ。生存者がいるかも知れない」。松崎(兄)、デンマーク人、トルコ人の救助ボランティアの3人が女性の声を確認した。
 すぐさまトルコの現地対策本部へ、瓦礫を取り除くための重機の配備を要請する。生存者の確認は出来たが、細かな居場所を特定したり、瓦礫を取り除く作業は彼らだけでは出来ない。
 いつ崩れるかもしれない瓦礫の上に多くの人が登って救助作業をするわけにはいかない。彼らには、専門の救助隊と重機を待つしかない。
 しかし、要請した重機も救助隊もやってこない。応援部隊の出動を、やはり期待できないのか。松崎兄弟をはじめ、その場にいた現地のトルコ人のボランティアたちは、手作業で瓦礫と化したコンクリート片を取り除き始めた。日付けが変わる深夜、激しい雨が降り出す。雨が流れ込んだせいか、瓦礫が崩落し始める。2次災害の危険がある。
 夜中3時、照明が消された。これ以上の捜索は無理というトルコ軍の判断だった。結局、朝7時まで続いた徹夜の救出作業は実を結ばなかった。
 最後まで救助に携わっていたのは、松崎兄弟を含め、10名の民間人だった。「専門の救助隊がいれば…」。何度となくそう思った現場の救出風景である。彼らの救出作業から一週間後、その現場から女性の遺体が発見された。
 トルコから帰りの機中、2人はトルコ航空の計らいで、客室に救助犬を運び入れることが出来た。シートに横になってぐっすり眠る2人。フラッシュを光らせて写真撮影をしても目を覚まさない。精一杯の救助活動を終えて疲れ切っている。すぐそばにはドイルとR・Jが静かに目を閉じて休んでいた。
 専門的な訓練を受けた救助隊員は、救助活動に関してまだ力量が足りないと救助犬を見ているそうだ。だが実際の災害現場では、公的な派遣の救助隊は国同士の関係から待機の連続で、十分な救助活動が出来なかった。
 台湾の地震では、レスキュー協会の救助犬は、外国の救助隊として現地に一番乗りした。人命救助のためには、迅速な対応を最優先する彼らの行動は、極めて際だっている。また、これまで不可能と考えられてきた、泥の中から臭いの出にくい土石流の現場での活動実績もある。
  厳しい冷え込みが続く昨年11月末、いつものように兵庫県三田市の訓練場に救助犬が集合した。いつ発生するやも知れない自然災害。そのために日々訓練する彼らの姿は頼もしく映った。

午後遅く始まった生存者の確認作業。トルコの被災現場に入ったのは、日本レスキュー協会に7頭いる認定救助犬のうちの2頭、ドイルとR・J(写真はR・J、松崎兄《右》弟《左》)。今にも崩落しそうな瓦礫の上での救助活動は徹夜で続けられた。生存者がいると判明したが、応援の救助隊は来ず、さらに重機がないため、生存者の救出活動は成功しなかった。(アドパザル市)
被災現場での救助活動は緊張の連続。トルコ大地震のような大きな被災現場では救助犬の疲れもすぐにピークに達しやすく、疲れも取れにくい。ドイルを優しく見守る松崎直人。(ヤロバ市)


冷たい風の吹く中、救助犬の訓練が続く。「サーチ(捜索)」と厳しい声を出して訓練の指揮を取るのは、日本レスキュー協会の設立者の一人、大山直高本部長(43)。また、同協会には救助犬の他に、セラピー犬を含めて計24頭の犬を抱える。(兵庫県三田市の訓練場にて)
人命救助が最優先。民間のボランティアで活動する彼らには国のメンツは不必要。ロシアの救助隊と合同で救助作業に入るドイル。(ヤロバ市)
日本レスキュー協会
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これまでの主な活動歴
1995年10月メキシコ中西部沖地震
1996年11月ペルー、ナスカ地震
1996年12月長野県小谷村土石流
1997年7月鹿児島県出水市土石流
1998年1月三重県多度山土石流
1998年9月高知県安芸郡土砂崩落
1999年広島県土石流、トルコ大地震(2回)、台湾地震
●災害協定:東京消防庁、神戸市消防局、徳島県、石川県、福井県、兵庫県