− 果てのない内戦 −
半世紀以上に及ぶビルマ・カレンの抵抗運動

私の見た90年代の戦争 その1
 ○ビルマ・カレン州へ
はるか西方にビルマ・カレン州のドーン山脈を臨む。どんよりとした鉛色の雲がたれ込めている。夕方には雨になるなあ。ふとそんなことを思った。
 タイの首都バンコクから西北へ約370km。ビルマに通じる国境の町メソットにたどり着く。メソットから北へ車で一時間、さらにビルマ側へ約10分走る。ビルマとの国境線であるモエ河が目に入ってくる。
 友人のカレン人T(38)が対岸に向かって大声を出す。どこからともなく若いカレン人男性が現れた。小さな渡し船が対岸から水面を走った。艫に座ったそのカレン人は櫂を器用に操る。ビルマ側の灌木と大木の陰には、運搬用の象が一頭たたずみ、優しい眼差しで人間の所業を見守る。
 雨や雲、風や河の水は、見えない国境線に関係なく、自由に動く。私自身も自然の一部となり、モエ河の流れに身を委ねる。渡し船に乗って下流へ約五分、カレン民族同盟(KNU)の軍事部門であるカレン民族解放戦線(KNLA)の第七旅団二一大隊の兵站地へと入る。
 雨や雲、風や河の水は、見えない国境線に関係なく、自由に動く。私自身も自然の一部となり、モエ河の流れに身を委ねる。渡し船に乗って下流へ約五分、カレン民族同盟(KNU)の軍事部門であるカレン民族解放戦線(KNLA)の第七旅団二一大隊の兵站地へと入る。
 ビルマ軍の攻撃を受けたカレンの村から一週間前に回収された地雷を見せてもらった。中国製のMM2地雷だという。地雷専門のカレン兵は目の前でその地雷を解体し始めた。爆破用の接触装置がはずされているといっても、すぐに起爆できる状態のままだ。手を滑らせない限り爆発しないと分かっていても、気持ちのいいものではない。その兵士自身、解体の失敗で片目をつぶしている。「もし、爆発したらどうするんや」。思わず身を引いた。

 ○ジャングル戦の恐怖
 ビルマの辺境で52年もの間抵抗を続けるカレン人の闘いには、派手さはない。あえぎながら、這いつくばって上り下りする急な山道、泥水を漉して飲料水とする前線の生活。持久戦の待ち伏せ。取材とははいえ、歩くのに疲れ切って撮影ができないことも多々ある。夜中の行動は、撮影不可能。まったく何のための取材かわからない。
 甲高い動物の鳴き声とパタパタと足音だけが聞こええる深夜の野営。足音がどこから来るのか、距離感はまったくつかめない。もしかしたら政府軍の待ち伏せか。もし、捕まったら…。
 眠ろうとしても恐怖で眠ることができなかった。「逃げ出したい」。私に戦争の現実を突きつける。そこには命をかけた戦争がある。戦争状態というのは、生と死のしのぎあいである。村人は生活をかけて闘う。
 戦場で命を落とす人、戦闘や地雷で傷ついた兵士や村人、感覚が麻痺してくる。それに追い討ちをかける恐怖。
  村を襲撃され、生活を台無しにされるカレンの農民は半永久的にこの恐怖とつきあって生活している。土地と生活を共にする農民にとって、村に残る、村を後にするという判断は、この恐怖との天秤ばかりだ。

 ○難民の流出止まず
  メソットのホテルに滞在中の四月一四日、新しい難民がまた逃げてきた、との知らせを受け取った。国境だけで約一〇万人の難民が暮らす。すぐに現場に入りたかったが、タイ軍は、外国人が難民と接触するのを許さないらしい。
 Tに下見に行ってもらったが、その日、現場に行くのは無理、と言われた。
  「最近のタイ軍は厳しくて仕方がない。私の友人も先月、外国人を難民の居場所に案内しただけで、三ヵ月間も刑務所にぶち込まれたからなあ。ビルマ政府がタイに圧力をかけて、外国人、特にジャーナリストの難民取材をさせないようにしているんだ」
 タイ軍はここ数年、ビルマ政府との関係を緊密にしている。それゆえ、ビルマ軍の迫害によって流出する難民の存在を隠したいのは明白だ。
  翌朝、Tがホテルにやってきた。
「難民のいる場所からタイ軍は引きあげたみたいだ。タイ軍や警察は国道を警戒しているが、なんとか抜け道を通って、現場には行けそうだ」
  廃屋となった竹簀床の二棟に、カレンの人たちが集まっていた。二三二人のカレン人が避難している。なぜ、彼らがこんな目に遭うのか。彼らがビルマ国内に住むカレン人という理由だけだ。政府に無理な要求を突きつける訳ではない。カレン人として、平和に暮らしたいと願っているだけなのに。

 ○武器を持つ理由
  辺境に住むカレン人を強引に国境線の枠組みに入れようとする国際社会の流れ。人の生き様を支配しようとする歴史の流れは、「少数」派の力では抗いようのない強大な力だ。
 カレン州は一九四九年前後から、常に戦争状態ではあった。村人は、それをありのままに受け入れて平凡な日常生活をおくっていた。しかし、絶えることのないビルマ軍の一方的な暴力によって、かれらの平凡な日常さえも根こそぎにされている。そんな人たちが今、目の前にいる。
 カレンの前線に出る兵士たち、あるいは村を守るために武器を持った人たちは、民族の尊厳を守ると言うより、自分の村が踏みにじられ、略奪され、家族や友人が暴行を受け、我が母・妻・娘が強姦を受け、人間として扱われないことへの怒りをあらわしているに過ぎない。それを単純に、「民族解放」とはいえない。
  しかし、死者が何名出ても、私は彼らのことをなんにも理解できていなかった。どんなにむごい経験を直接聞いても、私は彼らを理解できない。そう思うと、自分の無力以上に、悲しみと苦しみが襲ってくる。自分で はなく、なぜ彼らなんだ。明確な答えはない。それなのに、それを求めて私は現地に通い続ける。
ビルマ軍事政権に対して武装闘争を始めた50年目の昨年(1999年)1月31日、カレン州のカレン民族同盟(KNU)の司令部では記念式典が行われた。式典を見守っていたカレン人の親子。
内戦に巻き込まれていない平和な暮らしもある。山奥では手に入らない生活物資を買いに、3日間かけてサルイン河へと降りてきたカレン人の家族(93年12月)
ビルマ軍から逃れて作り上げた難民キャンプ。若者の未来を祝う結婚式が催される。平和な日常がかりそめの姿でなくなることを願いたい。(95年5月)