− 変わらぬ現実 救世主はいまだ現れず −

私の見た90年代の戦争 その4

 中米エルサルバドルに入った昨年3月、リベルター広場前に3年ぶりに立った。4 度目の訪問だ。7年前の停戦時の熱気を思い起こす雰囲気はなく、熱帯のけだるい空 気だけが漂っていた。しかし、首都の下町の喧騒に変わりなかった。紛れ込んでしま えば、方向感覚を失ってしまうほど大きなメルカード(市場)。通りを歩くにも緊張 する治安の悪さ、路上の物売りたち。カメラを向けると明るい笑顔を返してくれる人 びと。何もかもがなつかしい。
目についた大きな変化といえば、1956年から続いていた大聖堂の修復が終わり、 美しい姿を見せていることくらいだろうか。もう一つ気づいたことといえば、多くい た路上生活の子どもたちの姿が見えないことだ。
 あそこだろうと見当をつけ、リベルタード広場の裏に行ってみる。廃墟となった映 画館の向かいに子どもたちがたむろしていた。シンナーの入ったビニール袋を手にし ている子も多い。
 ほんの2週間前まで、タイ・ビルマ国境のカレン族の内戦を取材していた。短い期 間にぐるっと地球を半周したことになる。そこで私が感じたことは、内戦のまっただ 中に暮らす人々の苦しみと、戦争が終わってもその後遺症が社会と人に残す傷跡は、 似たようなものではないかということだった。
 エルサルバドルの内戦は、富の偏在・社会的不正・民主主義の欠如が原因で起こっ た。それに、米・ソの東西対決が拍車をかけた。しかし、冷戦の終結により、時代が 動いた。12年に及ぶ内戦は国土を疲労させ、民衆を困窮させていた。しかし、そん な状況にも関わらず、政府とFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)双方の 不信感は簡単にぬぐい去ることはできなかった。
地域機構の努力を引継ぎ、なんとか休戦を実現させた国連は、双方の軍事解除を監視 した。さらに、政治的な解決ばかりでなく、土地の分配の問題、旧ゲリラ兵士の社会 復帰にまで手を付けた。国連が政府とFMLNの和平交渉に強く・深く関与したの だ。この国の和平合意・停戦は、中米の小国のそれこそ小さな戦争の終結だったかも 知れない。だが、国連の平和維持活動(PKO活動)が成功した極めて希な例として 記憶されることになる。
 今回も、下町近くに宿をとった。近くにある大学に通うこざっぱりとした服装の大 学生の姿が眩しかった。一見、健全な経済復興をしている社会を思わせる。ほんの7 年前まで激しい内戦状態だった国の姿とは思えない。めったに訪れない観光客が現れ たとしたら、「この国のどこに問題があったのか」と不思議に思うかも知れない。 「中米の日本」と呼ばれた勤勉な国民性はよみがえったようだ。
 しかし、現在のエルサルバドルは自由主義経済を最優先に掲げている。その結果、 富裕層だけがますます豊かになり、富の偏在による貧困層はそのまま、社会的な不正 義と不公平は改善されていない。いまだ多くの人が経済的に苦しんでいる。政治的な 混乱は収束したが、経済的な格差の広がりは目に見えない形でいままで以上に進行し つつある。それは、軍政時代には押さえ込まれていた強盗・窃盗などの一般犯罪の増 加であり、都市スラムの拡大である。見えない問題はいたるところでフラストレー ションを抱えている。
 都市の騒々しさから逃れるべく、地方へ向かった。首都の東ターミナルを出たバス はパンアメリカンハイウエーを一直線に東へと向かう。途中、北に進路を取り約2時 間。ホンジュラス国境が目の前に迫るカバーニャス州の州都センスンテペケにたどり 着く。そこから大型バスを改造した乗り合いバスでさらに1時間半。懐かしい風景が 眼に飛び込んできた。5年前に訪れた避難民の帰還村だ。昨年、ようやく電気が通っ たそうだ。
 「こんな小さな村にも3年前に警察署ができました。盗みや強盗などの犯罪が急に 増えてきたのです。昔は貧しい者が貧しい者を襲ったりすることはなかったのに」。 のんびりとした山奥の村で7年間、根気よく援助活動を続ける米国人ブレンダさん は、そう私に語った。ここも、変わったのだ。
 ピックアップトラックの荷台に、腹を割かれた馬の死体が積まれていた。手袋とマ スク姿の男が2人、その馬を大きな穴の中に投げ捨てた。地面をおおっていた、数え 切れない鳥が一斉に飛び立った。それと同時に、息が止まるほどのすえたにおいが鼻 につく。風が吹くと、砂埃とゴミが吹き上げられ、目を開けておれない。
ここは、首都郊外のネハパ市のゴミ捨て場。およそ1000人の人びとが、首都が毎 日吐き出す、1500トンのゴミに生活の糧を見いだしている。その光景は、3年前 と全く変わっていない。中米一の大きさを誇る近代的なショッピングモール、メトロ セントロから車で数十分の距離。繁栄と貧困が隣り合わせの皮肉な場所だ。
 ゴミまみれになりながら必死になってゴミの中から食べるものを探し、懸命に生き ようとする子どもたちも多くいた。盗みなどに手を出し、安易な生活術を身につけよ うと思えばできるはずなのに。そんな彼らの生きる姿勢は、私には美しく映った。 「救世主の国」を意味する「エルサルバドル」を後にする飛行機の中で、そんな子ど もたちの姿を何度となく思い出した。精一杯生きている人びとだ。停戦したからと いって、何も変わっていないじゃないか。
 突然、私は憂鬱になった。
(つづく)
停戦から8年後。いまだ貧富の差は解消されず。段ボールを自分の寝床とする男の 子。
(サンサルバドル、1999年3月)
「この子の写真を撮っておくれ!」。停戦直後、下町の市場で撮影中に声をかけられ た。アデリアさん(46歳)の手に乗るアレキサンダー君
(サンサルバドル、199 2年2月)
8年後のアレキサンダー・フェルナンデス。内気で恥ずかしがり屋の少年に育ってい た。後方はお母さんのアデリアさん。(サンサルバドル、1999年3月)
貧しいながらも毎日を懸命に生きる子どもたち。ゴミ捨て場で働く女の子。明るい笑 顔で接してくれた。
(ネハパ市、1999年3月)