竹中 労 『 ルポライター 事始 』
( ちくま文庫 1999年 )


「 人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ。 」
「組織されることを承知で、誰がルンペンを志願するか。・・・・・。賃金に強制されない自由を生きようとするものをルンペンという」(序 ll..14-19)

「管理社会の恩恵にあずかることが目的であれば、ルポライターを志願するなど、まったく以て愚の骨頂である」(序 ll..1-2)

「そうしてまたこういう批判を、私はうけねばなるまい。『ようするに、お前はエゴイストだ。人と連帯し、共働することができないし嫌いなのだ。ルンペンの自由など、しょせん不毛の自由ではないか。もっともお前自身が勝手に孤立して、ぼろっきれのおうにのたれ死んでも、それはたしかにお前の自由であることに相違ないが』」(序 ll..2-5)

「君の人生は虚名や富みと無縁なのである。・・・・・。貧乏神を生涯の伴侶とし、火宅を終(つい)の栖(すみか)とするところに、この職業のよろこびはあり誇りもあるのだ」(P.14 ll..8-10)

「長い戦後の・・・、身のまわりが小綺麗になっていき、”家庭のぬくみ”が増していくに反比例して、私の魂はすさんだ、・・・。」(P.20 ll..14-15)

「幼いころから幸福というものに縁薄く育った私は、いつのしかみずからをヌキサシのならない窮地へ、修羅場へ追い込まないと、生きている甲斐のない男になってしまったのかもしれない。精神の蝶つがいがはずれたような、おのれが生きてあることのすべてが欺罔(ぎもう)であるような思いに、私はさいなまれた。むろんそれは”出世間”の願望と別種の感情であった、如是我聞(かくのごとくわれ聞けり)、汝を口より出すは熱きゆえあらず、冷たきがゆえにあらず・・・・・・、なまぬるい環境に私は死ぬほど鬱屈していたのである」(PP..20-21 ll..19-6)

「・・・・・。この世には理由(いわれ)のない差別というものは、ない。・・・、差別には歴史があり、理由がある」(P.21 ll..15-16)

「差別の意識は階級の別なく、体制と反体制を問わない」(P.23 ll..10-11)

「ならばいっそ、血統書つきの雑種に徹して、憎まれ蔑まれようと私は肚をすえた。差別の不当と百万べん言い立てるより、差別に対す1回の報復の方がはるかに有効であるという、ごく当然の認識だった。殴られたら倍の力で殴りかえせ、さらなる差別をむしろ呼びこんで報復のバネとせよ」(P.24 ll..7-10)

「芸能界が下らぬのではなく、芸能記事が下らないのである」(P.25 l.6)

「低俗、卑俗とおとしめられる芸能界のゴシップから1点突破して、人間と社会の矛盾をあばく作業を、スキャンダリズムというのである」(P.25 ll..11-12)

「おのれの書く記事は、共同取材であってもよい。しかしかならず自分が足でたしかめるというルポルタージュの鉄則が、そこでは失われているのである。文字通り責任のない文章をベルトコンベアーに乗せるように、マスプロしていく体制。もっとはっきりいえば特権的編集者(労働貴族)、しして非良心的売文屋(下請けボス)が、楽に仕事をして高いゼニを稼ごうという差別の構造に、粗製乱造のデッチ上げ記事はまかり通るのだ」(P27. ll.9-13)

「役者や歌い手が名士であり社会に公認されたエリートであるごとき夜郎自大な錯覚から、芸能界のなべての愚痴は生まれてくる。いえばそれは、戦後民主主義に腐蝕されて唯物功利のヤバンな国に堕ちた、日本の姿をうつす鏡である。鏡は歪んでいる、曇っている。だが事物の真相は、デフォルメされた映像によって、かえって明らかな場合がある」(P.28 ll..2-5)

「講和条約締結から7年、経済復興・消費革命の欺罔に、人びとは気づきはじめていた。ナベゾコに落ちた景気をむりやり活性化しようとするコマーシャリズムは、いっぽうに浪費ムードを煽りながら、いっぽうでは民衆の心理的飢餓感を醸成していった。・・・・・[繁栄が永遠につづくかのような幻想をあたえること、泰平であるというムードが必要なこと、民衆の中に潜在する反体制のエネルギーを娯楽・スポーツ・消費によって拡散し、マヒさせて、創造的な思考を霧の中に閉じこめること](大門一樹『ゆがめられた消費』)」(P.43 ll..8-14)

「労働者の正義とか人民のモラルなどというものを、私はなまなかに信じられない心境になっていた。だが、おちれば堕ちるほど人間のみにくさ愚かさを知るほど、”制度”への怒りはつのるばかりだった、『虚しきを知りつつなお闘う』こと」(P.45 ll..15-19)

「出版資本が、反権力的な志向や連帯などそこから生まれてくるはずないとタカをくくり、雑誌の売れゆきだけにもっぱら関心しているかぎり、言論は自由であった」(P.16 ll..9-11)

「たた、そのすべては、ルポルタージュ・ノンフィクションの大枠の中にある。私にとっての一切の営為は、”ルポライターの仕事”として存在する。活字だけでなく、音響や映像を表現の手段として(ときにフィクションの領域にまで及んで)、おのれが開拓したこの職業のあらゆる可能性を試そうと私はしているのだ。たとえそのすべてが、中途半端に終わってもよい。主人持たずのルンペン・インテリゲンチャがこの娑婆で、辛うじてメシを食いながらいささかの志を述べる方途を、”報道(ルポルタージュ)”のあらゆる分野に私は模索しているのである」(P.56 ll..6-11)

人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ。ルポライターが組織をつくることに、私は賛成しない」(P.57 ll..7-8)

「団結の神話に私たちは訣別しなければならない。自由かつ平等な個々人に解体を遂げよ、整然たるデモではなく『立ちん坊の叛乱』を、・・・、それぞれの持ち場に被差別の水面下にスタンバイせよ。メダカやイワシのように群れるな、ペンの牙を磨ぎすまして、個々に出撃し退却せよ。その組織されざる連帯は、かならずやアナーキーな混沌たる言論の戦場を現出して、国家権力に拮抗しうるであろう・・・」(PP..57-58 ll..20-4)

「なべて表現は作為の所産であって、『虚実の皮膜』に成立する。事実もしくは真実は、構成されるべき与件(データ)でしかありません。そもそも、無限に連環する森羅万象を有限のフレームに切りとる営為は、すぐれて虚構でなくてはならない。活字にせよ映像にせよ、ルポルタージュとは主観であります。『実践』といいかえてもよい、ありのままだという、没主体ではあってはならないのです」(P.61 ll..8-12)

「『ニッポン日記』が、我々日本人の眼から見ると滑稽な錯誤にみちみちていて、しかもルポルタージュとして成功している所以は、マーク・ゲインの主観にあるのです。すなわち、物自体は不可知であっても、センシビリティによってその意味に迫り得る。言葉を換えるなら、<直感>こそルポルタージュの最大の武器でなくてはならず、作為をおそれてはならぬのであります」(P.63 ll..13-17)

「ですからして、ルポライターが一家をなすことはほんらいあり得ません。ルポルタージュとは恒産なく恒心なき不平の徒が就くべき営為なのであって、ことばの正確な意味での自由業である」(P.67 ll..7-8)

「ルポルタージュとは、冒頭に述べたように事実をありのままに記録するのではなく、あり得るべきもしくはあるべき姿を描くことなのであります。とすれば、その当為のありようをみずからつくりだしてよいわけで、とうぜんそれを一篇のレポートに総括することを予定してもさしつかえない。  ・・・・・行動しつつ記録していくこと、主観と客観はかく合一します」(PP..68-69 ll..19-4)

「低俗、何が悪い?恋に上下の差別なく、言論に自由の差別はない」(P.89 l.12)

「[拙訳]古来、詩を作り、文を書く者にとって、筆禍は避けがたい宿命である」(P.104 l.3)

「─ 人間を制度が支配する限り(むろん共産制であろうと)どこに”言論の自由”など存在しよう。しかし、いかなる時代・社会・国家においても、断乎として”自由な言論”はある」(P.105 ll..4-6)

「私に即しているばかりいるようだが、刑法改正草案のみなずなべての法律条文は、『もし自分が・・・・・・?』という仮定で読むべきであり、法律家・学者先生等の原理原則よりも、その方が遙かに説得力(すなわち恐怖を)帯びてくる。  ・・・。  たとえどのような法の改悪が行われようとも、人間から自由を奪うことはで きない」(P.109 ll..2-9)

「『一般の人は、刑罰に(すなわち法律に)コンサーバティブだ』という平野竜一東大教授の言葉を引用したが、大間まちがいのコンコンチキである。”一般の人”は法律にしたがっているというのではなく、法律とかかわりあいにならぬように心掛けて生活しているのだ」(P.115 ll..5-7)

職業とは生活の手段である。だがそれは同時に(それ以上に)、人がおのれの望みをいかに生きるかという試練の場なのである。・・・・・。人は職業をえらび、職業は人を選択するのである」(P.120 ll..4-8)

「見境のない暴露とスキャンダリズムとは別であり、左翼ふうの言辞をろうすることかならずしも反体制を意味しない。左右をとわず権威に唾を吐きかけ、恥部を暴くことにストリート・ジャーナリズムの正義は存在し、そのことによってしか大衆の支持は得られないのだと、私はいいたいのだ」(P.131 ll..4-7)

「ゴシップやスキャンダルのまったくない社会は、とりも直さずファシズムの社会なのである」(P.149 ll..6-7)
「ルポライターの鉄則、おのれの眼で見、耳で確かめて書く営為を省略した文章など、ぼくには信用できない」(P.176 ll..12-13)

「マンネリズムに自由な表現はない」(P.177 l.16)

「ルポルタージュとは、あらゆる分野における記録の方法であり、表現の技術である」(P.180 l.16)

「そもそも、無限に連環する森羅万象を、有限の枠(フレーム)に切りとって組み立てるルポルタージュ、報告という営為は、とうぜん予断から出発する」(P.182 ll..7-8)

「ピラニアよ、狼よ群れるな! むしろなんの保証も定収入もなく、マスコミ非人と蔑視され差別される立場にこそ、もの書きとしての個別自由な生き様(よう)、死に態(ざま)があるのだろう」(P.185 ll..7-8)

「ルポルタージュは、試行錯誤を旨とする。そのために確乎たる予断、”自身のテーマ”を必要とするのである」(P.186 ll..5-6)

「評論家とは、ニッポン低国の安全地帯で、得々と戦争ごっこのコメントに安寧のない、脳天気をいうのである」(P.188 lll..16-17)

「本質的に、ペンの日雇労働者である無頼の立場に変わりはない。はっきり言って、望みさえすれば多忙になれるのだ。ただ、己の書きたいもの、妥協しない文章を売ろうとすればとうぜん、孤立と貧窮をまぬがれない。寄せ場から疎外され、むなしく徒労の日々を過ごし、予定表をつくる。・・・・・それが何よりも大切な、ルポライターの仕事である」(PP..200-201 ll..6-2)

「そう、私はまっさかさまに堕ちた。堕ちる、という気負いがあった。つまり、ホンモノではなかった。堕ちてみて始めてわかったのだ。そこがぬきさしならぬ地獄であり、チャチな感傷など通用しない世界であることを、私は思い知らねばならなかった」(P233 ll..18-20)

「援護活動に私はたずさわっていた。・・・実際に目の前に目前で衰弱死する人々をみた。飢えのために盗み、身を売り、精神錯乱していく人々を日常に見た。そして飢えが平等でないことを、資本家とか高級官僚とかいう敵の中にではなく、闇屋ブローカーでもなく、その飢えた人々の代表とか見方と称する指導者の中に、文字通り運動を食ものにしているボスがいることを私は知ってしまった。・・・・・私は、つまり彼らの同類に堕落したのだと思いながら反省をしながら、ひたすら食いたいという願望に、ついに抗しきれなかったのである」(PP..235-236 ll..16-4)

「むしろ、人は勤勉にダ落するのである」(P.257 l.8)

「つまり革命ごっこ、犯罪ごっこの過客としてしか、ニッポン窮民街を漂白しなかったのだ。坂口安吾の思想を、『まっさかさまに堕落する』ことをワタシャ実践しているつもりでその実、探検する者でしかなかった。敗戦を生活しなかった。帰るべき学園もあれば故郷もある、仮装浮浪人にすぎなかったのだ」(P.262 ll..11-14)

「ものを書く仕事は、編集者との共働作業である」(P.269 l.9)

「[批評という営為の限界を突き破ることが、私の一貫としたテーマであった。批評は創造に・創造は批評と関わって一体化する作業を、なべての分野に志向してきた]」(P.279 下段 ll..10-13)

[アナキズムとは、なべての支配されざる精神の謂である。人々はそれぞれの属性に応じて闘えばよいのだ。アナキズムは鉄の規律を強制せず、個別の情動と創意とを連動する。自由を求めるものは、みずからが自由でなければならない]」(P.281 ll.. 上 19- 下 4)

「[根底に人間への愛情のないやり方は、アナキストではない]」(P.290 ll..5-7)

自分の取材方法やその結果に満足がいかない理由は、自分が一番知っている。中途半端だったからである。とことん追求しなかったからである。どういう反省方法をとればいいのか、竹中氏から学ぶところは多い。何のためにこの仕事に就いたのか。そのことことあるたびに思い出さざるを得ない。
どっちつかずで宙ぶらりんな時にこそ、この本を読んで自分自身に「カツ」を入れる。竹中氏のようにとことんというところがない己がちょっと情けない。そう、「人はそれぞれの属性に応じて闘えばよい」。全くその通りだ。でも、時に自分の弱さから、その属性を誤魔化してしまうとするもう一人の自分を発見したりするのである。ああ。日和っているなあ。
常に、原点に戻ることを強要される本である。