トルコ大地震

−心に刻まれた地震の記憶−

 10月5日朝、神戸の自宅。ドンと突き上げられる衝撃で飛び起きた。マンション全体が、ゆらりゆらりと揺れている。目は覚めたものの、布団の上に座り込んだまま、一瞬意識がとんでしまった。すぐに、トルコでの倒壊した建物を思い出し、死臭の蔓延する瓦礫の記憶がよみがえってきた。
 四年前の阪神大震災の時に感じた恐怖を思い出した。
 「涙が止まらない、夜、眠ることができない」。建物の倒壊被害が一番ひどかったアドパザル市の診療所を取材していたとき、被災者の多くから発せられた言葉だった。
 現地に入った日本の医師は、「こんなにPTSD(心的外傷後ストレス傷害)が多いとは。患者の半数以上がそうじゃないかな。話には聞いていたけど、実際、地震でこういうふうに神経がまいってしまうのか」と語った。
 写真撮影のため、瓦礫の山の上に登る機会が多くあった。。犠牲者の数は、日を追って確実に増えていく。発見されることなく、倒壊した建物の下敷きになったままの犠牲者は一万五千人を越えている。私の足の下にも、誰かいたのかも知れない。今考えると、身が縮み上がる思いだ。
 確認されただけで、死者約15、500人・負傷者約25、000以上、被災者約20万人、倒壊家屋2万棟あまり。被災地域には、トルコの総人口の約3分の1である2080万人が住んでいる。  被害が大きくなったのは、地震そのものの規模が大きかったという面もあるが、それ以上に違法建築のための建物倒壊、地震直後の救出活動の不手際という「人災的」な側面も強い。  
手抜き工事で倒壊したと非難されている建物の多くは、無惨な姿をさらしている。ぐにゃりと曲がった鉄筋はむき出しになり、複雑にからみあっている。
 コンクリート片から突き出た鉄筋の一本を握ってみた。ひんやりとした感触。曲げようと力を入れたが、人間の力では曲げようのないほど固かった。さわっただけでボロボロと崩れるコンクリートとは対照的だ。
 生存者救出のために、30近い国から救助・医療隊が派遣された。万単位の犠牲者が報告される中で、人ひとりを助け出すための人員・機材派遣にかかる費用は巨額すぎるとも言われる。だが、瓦礫の横に無造作に放置された、黒いビニール袋に入った遺体をいくつも見ると、「一人でも多くの人の救出を」と思わざるを得ない。
 政治的に緊張関係が続いていた隣国ギリシアからも救助隊の派遣があった。トルコ政府がそれを受け入れたことによって、両国の関係に改善の兆しが見られた。また、南東部のクルド地域で続いていた分離・独立の戦闘も、地震の復旧のため停戦となった。
 災害の大きさに比例して、政治の緊張が小さくなった。
 だが、救出活動の全てが順調にいったわけではなかった。
 トルコ政府からの救援要請がないとの理由で、国から派遣された救助隊のいくつかは、救援本部のキャンプサイトで、じっと待機状態のままであった。しかも、目の前の倒壊現場には、専門の救助技術を持った救助隊が来るのをまっていた被災者が多くいたのに。
 救助活動がなかなか進まない中、懸命に活動を続ける日本の民間救助隊の姿もあった。救助犬2頭を引き連れて日本から乗り込んだ、松崎直人(26歳)・正人(24歳)兄弟である。
 彼らには、あらかじめ現地での受け入れ機関があったわけではない。ただ、これまでに地震や水害の被害地域で活動してきた経験から、自分たちの技術が必要とされることは分かっていた。2人は、ヤロバ市で活動を共にしていた日本の救助隊と別れ、震源地により近いアドパザル市へと向かった。
 決まった宿舎はなく、野営生活を続けての活動。車の手配や通訳の確保などに苦労しながらも、「ひとりでも多くの生存者を」という気持ちで、どこへでも足を運び、瓦礫の下の生存者の発見に全力を尽くしていた。    ヤロバ市の地震対策本部前。夕暮れ間近で薄暗くなってきた。フランスの救助チームが明々と投光器をつけて、救出活動を続けている。重機が倒壊した建物を崩していく。寝室のあたりにさしかかると機械作業は中断され、洋服や食器が手作業で掘り出されてくる。アルバムと数枚の写真が掘り出され、トラックの脇に大切に置かれていた。
 アルバムを手に取り、項をめくるトルコ兵がいた。家族だろうか。目頭を押さえる彼にカメラを向け、シャッターを一度切った。顔を上げた彼は、うつろな目で私と目線を合わせ、何も言わず、すぐにアルバムに目を落とした。「もう、いいだろう」。彼の目はそのように言っていた。写真を撮れなかった。
  地震発生から6日目、被災地に激しい雨が降った。雨に濡れたコンクリートの臭いは、なぜか死臭を思い起こさせる。冷えた空気が、鼻の奥をツンと刺激するせいだろうか。
その後、雨に濡れたコンクリートの臭いをかぐと、どこにいようと、トルコの瓦礫の山に埋もれた死者の存在を思い出してしまう。それは日本に戻ってきて2ヵ月経った今も変わらない。

地震直後の状況を聞いていたとき、突然からだを震わせて泣き出した女性。
イスラエルの医療施設で手当てを受ける少女。縫いぐるみを抱きしめ、放心状態のまま、ベッドに横たわる。 倒壊した建物に潜り込んで救出活動を続ける救助隊員(仏)。生存者発見のための命がけの作業。
地震発生から5日目。援助物資を配るトラックを取り囲む被災者。興奮状態がおさまらず、不安な日々を過ごす。