沿線の思惑が走る
アジアハイウェイ

─ ビルマ/タイルートを行く (1) ─
「現代のシルクロード」 といわれるアジアハイウェイは、計画からまもなく半世紀。紛争がつぎつぎと起こるアジア各国を抜けるため、遅々として進まなかったが、ようやく開通の意義が見直される環境になってきた。総延長約66000qにおよぶ壮大なルートには複雑な政治事情も絡みつく。
ビルマ・カレン州都パアンからタイ国境へ向かう車

 錆の浮き出たジャイン橋の袂にたどり着いた。この橋の向こうに何があるのだろう。おそらくは、今まで走ってきたのと同じアスファルトの一本道が続くだけだろう。それは重々承知している。だがしかし、そのありふれた道の有りようを自分の目で確認するため、ビルマ軍事政権(SPDC=国家平和発展評議会)の監視の目をぬって、この辺境までやってきたのだ。
 橋の直前でバイクを止め、写真撮影を済ます。ここまで来たのだという証拠写真なのだ。デジタルカメラは、シャッター音無しでその場を切り取る。


「ジャイン(コッコレイ)橋を越える。
橋の中腹(右側)の監視小屋をすり抜けるため、
スピードを上げる直前撮影。

 ブルン、ブルン―― バイクのスロットルをゆっくり開けて、発進。アスファルト部分を勢いよく走り上がる。橋の頂上部分は、鋼材がむき出しのまま。雨で濡れた部分でタイヤがスリップ。もう後戻りはできない。前へ進むのみ。急勾配の下りに入る。ハンドルを握りしめる手に力が入る。目の端に、対岸のチェックポイントがチラリと入った。だが、前を向いたまま、一気に走り抜ける。どうやら気づかれなかった。そのまま、チョンドーの町へ駆ける。



念願のアジアハイウェイを走る

 ビルマの首都ラングーン(ヤンゴン)から、夜行の乗り合いバスで約八時間。朝六時、カレン州の州都パアンに到着。知人を通して、現地の政府関係者に話を聞く。 「外国人が行けるのは、タマニャまでかな。以前、日本の放送局がジャイン橋の手前まで行ったが、やはり橋を越えることはできなかった。許可が下りなかったんだ。橋の向こう側はまだ戦闘地区だからね。行くつもり?あちこちにチェックポイントがあるから、無理だ。やめた方がいいよ」
 翌日、小型のピックアップバスに乗り込む。約四五分で、パアン郊外のタマニャ山に到着。ビルマ国内で最も有名なお坊さん、タマニャ高僧(昨年末逝去)が住んでいた丘陵地帯だ。タマニャ山の麓の僧院周辺には、参拝客目当てのバイクタクシーが数台たむろしている。
「六〇〇〇チャット(約七〇〇円)で、明日、バイクを一日貸してくれない?」  一番まともそうなバイクを持っている運転手に話しかけた。


  「この外国人、信用出来るかな」
  「もしかしたらバイクを乗り逃げされるかも知れないぞ」
  「六〇〇〇なら、俺のを貸してやろうかな」  
 バイク仲間同士で、ひそひそ話が起こる。貸し出し料は魅力だが、躊躇している。そこで、ビルマ語で書かれた、政府発行の許可証を出してみた。  許可証を手にした運転手たちは、ちょっと心が動いたようだ。
  案内役の僧院の人が保証してくれた。
  「この人は大丈夫だよ。宿泊先も決まっている」
  参拝客の少ない雨季の時期のおかげだ。なんとか交渉成立。


翌朝八時過ぎ、小雨降る中、僧院を後にする。まっすぐ東へ、タイ国境方面へ向かう。丘を一つ超えると、もうそこは外国人の立ち入り禁止地区。小雨は、篠つく雨に変わった。身体が冷えないように、厚めの雨合羽を羽織る。雨雲の流れに合わせて、雨は降ったりやんだり。
 一時間半ほどバイクを飛ばすと、ジャイン橋の手前にたどり着いたのだ。橋の袂にチェックポイントがある。車は全てチェックされている。バスの乗客も全員降ろされ、一人ひとり身分証の顔写真を照合される。雨降りが好都合だった。合羽を着ることで、顔と身体を隠すことができた。まさか外国人がバイクを運転していると誰も思わないのだろう、バイクは完全にノーチェック。前を走るバイクに続いて、チェックポイントをやり過ごす。
 橋の直前で、ひと呼吸。ここまで来れば、次の町チョンドーまではすぐだ。さらにコッコレーまでは二時間ぐらい。長年の夢だった、閉ざされた「アジアハイウエー」に個人で入り、自由に走っている。

タイ国境の町メソットからビルマ国境へは
6車線の道路が整備済み