人間の尊厳を返せ

─ 500回目を迎えた元「慰安婦」水曜日集会 −
 午後5時半、夕食が始まった。10人(イ=ヨンニョさんはソウルで独
り住まいしているが、今回は、数日間友人を訪ねていた)の元「慰安婦」
のおばあさんが勢揃いした。
 テーブルについた私は、何をどう話を切りだしていいのか分からなかった。
韓国語の不自由さだけが原因ではないのは分かっていた。ただ、黙って、
ご飯を口に運ぶだけ。三度の食事を作る賄婦さん、さらに尼僧二人を含め、
テーブルについているのは全員が女性である。妙な闖入者がその場の雰囲気
を乱しているのははっきりしていた。
「ちゃんと食べましたか?お代わりは?もっとご飯たべなさいよ」
 私の左横に座っていた金順徳(キム=スンドク)さんは、ぎごちない私
を気遣ってくれる。食事が終わった後でも、「コーヒー飲みますか」と声
をかけてくれた。

 翌朝、柔らかな太陽が昇ってきた。前日のしぐれ空が嘘のようだ。暖か
い日差しは、静かな山間に建つ「ナヌムの家」を照らし始めた。朴玉蓮
(パク=オンリョン)さんが一人、生活館前の張り出しの前に座っている。
朝食後の一服を楽しんでいた。私は何も話しかけることはできない。でも、
なんとか一緒に時を過ごしたい。そう思うだけだった。黙って横に座るこ
とにした。それだけで満足だった。10分ほど、沈黙の時が流れた。
「アベ中尉はもう戻ってこないよ。死んでしまったんだね。私はシズコと
呼ばれてたんだ」
 何も尋ねていないのに、パク=オンリョンさんは、ささやくように話し
始めた。さらにゆっくりと自分の身の上話を続けていく。
「結婚しようと、言ってたよ」
30秒ほど沈黙が続く。
「それで、何て答えましたか」
「『はい』、って言いました」
「慰安婦」と銃の力を背後に持った日本兵との愛情関係をロマンだけで語る
べきではないだろう。しかし、一人の女性として男性に思いを寄せていたと
いう事実もあったのだ。当然のことだが、今も昔も、おばあさんたちは、
一人の女性であるのだ。
 パク=オンリョンさんもまた、自らの意志で「水曜日集会」に参加している。
「もし、日本政府が認めないのなら、200歳まで生き抜いて謝罪を勝ち取る」。
強い決意を柔らかな口調で話す。
「日本に公式謝罪と賠償を求めるのは、過去にあった事実を覆い隠そうと
する、『今』のその態度が許せないのです。証拠を出せと言い続けるなら、
私たちが、生きている私が証拠ですよ」と訴えたいのです。
 「ナヌムの家」に滞在中、10人の「慰安婦」のおばあさんのうち、最後
の最後まで二人のおばあさんに口をきいてもらえなかった。また、「慰安婦」
のおばあさんたちが例外なく、積極的に「水曜日集会」に参加しているわけ
ではない。例外的に否定的な見方をする人が一人いた。「ナヌムの家」の
滞在三日目にもなると、ようやく私の存在も自然になってきた。普通に話
をしてもらえるようになった。ある時、イ=ヨンニョさんは愚痴をこぼした。
「一人暮らしは本当は寂しいんだよ。でも、みんなとの共同生活を上手く
やっていけないしね」
 一週間のほんの短い間だったが、四名のおばあさんとゆっくりと話をする
ことができた。おばあさんたちが一番強く求めているのは、金銭的な賠償
ではなく、その昔、「モノ」として扱われてきた自分たちの人間としての
尊厳を回復して欲しいという訴えであった。