人間の尊厳を返せ

─ 500回目を迎えた元「慰安婦」水曜日集会 −
 日本政府は、「慰安婦」たちの主張や存在を、過去の「遺物」として、
無視の態度を決め込んでいる。さらに韓国内でも、「慰安婦」は「過去の
問題」として扱われようとしている。「慰安婦」を民族の恥だと言ったり、
「慰安婦」のハルモニは、「挺隊協」によって、「水曜集会」に強制的に
「参加させ」られている、また、金目当ての集会じゃないのか。資料の中
には、そんな記述もある。 しかしそのどれも、「慰安婦」のおばさん
から直接話を聞かずに、推測だけで書かれているのだ。
 果たして、どういう思いでおばあさんたちは、「水曜日集会」に参加し
ているのであろうか。本当のところはどうなのか。それを知りたくなった。
ツテを頼って、「慰安婦」のおばあさんの共同生活所・「ナヌムの家」に
一週間住み込んで、直接話を聞く手筈を整えてもらうことができた。

 「ナヌムの家」とは韓国語で、「分かち合いの家」を意味する。自らが
慰安婦として名乗り出て行き場を失った、あるいは家族と生活を共にしづ
らくなった「慰安婦」たちが共同の生活を続けている場所を指す。  
2002年3月までに、「慰安婦」であると203名が名乗り出てきた。
そのうち61名は、すでにこの世にはいない。また、「ナヌムの家」には
現在、9名の元「慰安婦」のおばあさんが共同生活を続けている。
499回目の「水曜日集会」が終わった3月6日、その足でソウルの南、
京畿洞・広州市にある「ナヌムの家」に入った。
私は、日本の国籍を持ち、30代後半の男で、180cm近い背丈がある。
また、おばあさんたちの世話をするボランティアでもなく、取材が目的の
訪問である。そんな私が、おばあさんたちに受け入れてもらえるかどうか、
不安がないといえば嘘になる。

「韓国の新聞社の人(男性)も取材のため一週間泊まり込んだことがあり
ますよ。言葉に不自由しない彼でさえ苦労したと聞いています。でも、日
本語を話すおばあさんも何人かいますし、心配ありませんよ。ハルモニた
ちとできるだけ時間を共にするようにするしかないですね。ただ、個性あ
るおばあさんたちばかりで手こずると思いますが」。「ナヌムの家」の院
長である尼僧・能光(ヌン・グアン)さんはそう勇気づけてくれた。
 「ナヌムの家」生活館1号棟の一階は、団らん室になっている。そこで、
テレビに見入っていたおばあさん三人と初顔合わせをした。あらかじめ目
を通していた資料を思い浮かべ、おばあさんの名前と顔写真を思い出そうと
する。が、緊張感からか、冷静な頭で、顔と名前は一致させることはできな
い。
「アンニョンハセヨ(こんにちは)」
 挨拶の言葉は出てきたが、声がうわずっているのが、自分でも分かる。
「こんにちは」
日本語で返事が返ってきた。その一言はでほっとした。身体の力が抜けた。
 団らん室横の部屋から、糸巻きをしているおばあさんが出てきた。あ、
朴頭理(パク=トウリ)おばあさんだ。この人の顔は、すぐに分かった。
パクさんは、テレビを見ているおばあさんと一緒に、糸をほぐし始めた。
その様子を10分ほど見つめる。  私の気分も、ようやく落ち着いた。
パク=トウリさんの相手をしているのは、李容女(イ=ヨンニョ)さんだ。
2人の様子を写真に撮りはじめる。
パクさんは、「アハハ」と歯の1本もない口を大きく開け、笑い顔となる。
イさんは、別段、写真を撮られるのを嫌がる様子は見せなかった。しかし、
イさんが口を開いた。

「あなた、何しに来たの? また、話を聞きに来たの? 遅すぎるよ。
この10年、いろんな人が来て、毎日毎日、ずっと話をしてきたよ。もう
嫌になるくらいね。苦労話ばかりさせられてきたよ。60年前に来てくれ
たら良かったのに、遅すぎるよ」
 私は、何も言えなくなった。何も聞けなくなってしまった。
 テレビがコマーシャルになる。イ=ヨンニョおばあさんは、部屋の入り
口の扉を10cmほど開け、タバコを吸い始めた。イさんは、酒好きだと聞
いていた。
「おばあさん、お酒好きだってね。まだたくさん飲んでるの?タバコは
身体に悪いですよ」
 私は、おばあさんの身体をいたわるつもりで、声をかけた。
「酒もタバコもやらなければ耐えることができない、そんな生活だったの
よ。何も知らない16歳の私に、酒・タバコを教えてくれたのは日本のヘ
イタイさんなのよ」
 私は再び、何も言えなくなってしまった。