もう一つの顔
軍事独裁国家ビルマ (下)

(7)

行動を共にしたのは、「国内避難民」の救援活動を続けるNGOのスタッフ1名
と護衛のカレン人ゲリラ兵士七名だ。ドナ山脈の比較的低い1500メートルの
鞍部を越え、避難民を求めて歩き続けた。
途中でビルマ軍の轍が残る道を二本横切った。足が動かなくなり、すぐに座り
込んでしまう私に、20代前半の山歩きに慣れたカレン兵士が励ましの言葉を
かけてくれた。「『国内避難民』を実際に取材するのは世界であなたが初めて
なんですから。さぁ、行きましょう」。

最初に出会ったのが、冒頭のタクレクロー川の河原で生活していた彼らだった。
モト(女性35歳)、ムタワ(男性30歳)、カレポー(8歳)、ノペ(5歳)、モネニ(3歳)
の5人のカレン人一家だ。ムタワさんに比べて、モトさんの方が口数が多い。

「1月末、ビルマ軍に支援されたDKBA(民主仏教カレン)軍兵士が50人くらい
で村にやってきて、自動小銃(?)を撃ちだした。村人は怖くなってみんな逃げ
だした。1995年から、DKBA軍は毎年のように村にやってきます。その度に、
逃げています。1年間のお米の収穫は40〜50バスケットあるはずなのに、
彼らが来るたびに、山に逃げ込み、農作業は中断せざるを得ないため、20〜
30バスケットにしかなりません」

――食べ物がなくなったら?
「山に入って果物を採って、ビルマ軍が駐屯しているペンチョンという町に売りに
行きます。他の村人に交じったら分かりません。果物を1ティン(量り売りの単位)
売って、800K(Kyat=チャット、ビルマの貨幣単位)手に入ります。それでお米
を買います。お米は、1ティンで4000Kします」

口数少ないムタワさんが口を開いた。 「私は男だから、ポーターとして強制的に
連れて行かれるのが特に怖いです。だから、隠れ住んでいるのです」

彼らと会った地点から、さらに3時間ほど歩く。川沿いにいくつもの家族が点々と
野宿していた。15家族ぐらいいるだろうか。村ごと逃げ出したようだ。村長をやっ
ているジョピーさん(46歳)さんに話を聞くことができた。

私は、ティポ村(32家族)とティポワー村(35家族)の両方の村長をしています。
DKBA軍とカレン軍との戦闘に巻き込まれるのが恐ろしいから、村を後にしま
した。私たちは、普通の村人です。それなのにKNU軍に味方していると疑われ
ます。村人は男女を問わず、DKBA軍やビルマ軍に無理矢理連れて行かれます。
軍の荷物運びや地雷をよけるための道案内もさせられます。 ビルマ軍やDKBA
軍の要求を断ると、一人あたり5万Kを要求されました。彼らのやり方に抗議しよう
ものなら、KNU(カレン民族同盟)の支援者だと疑われます」

――タイ側に逃げ出さないのですか?
「タイの難民キャンプでは、自由がない。それにあそこは私たちの土地ではない。
私たちは、どんなに貧しくても、苦しくても、生まれた場所を離れたくないのです」