もう一つの顔
軍事独裁国家ビルマ (下)

<先の見えない絶望の中で>
6日あまり山の中を歩き回り、「国内避難民」と呼ばれる人々と出会ったのは、
偶然ではない。

「国内避難民」に取り組んでいる国際的なNGO ( Global IPProject) は、
ビルマにおける国内避難民の数を60〜100万人と報告している。

村長は続ける。
「でも、これ以上、この逃避状態が続くと、どうなるかわかりません。平和な
暮らしが欲しいです。ただそれだけです。私たちは、いったいどうしたらいい
のですか」

かつて、タイ側に逃れた難民の人からも何度も同じ言葉を聞いたことがある。
「80年代末からタイ側へ逃げ出してきました。しかし、いつ、ビルマ側へ追い
返されるかもしれません。私たちはどうなるのでしょうか」

どうすればいいのか。首都ラングーンでも全く同じ絶望感を聞かされた。それ
は、時々ビルマ語を教えてもらうビルマ人女性の言葉だった。

彼女はどちらかと言えば、軍政府寄りの立場だが、5月末にスーチー氏が
3度目の拘束をされた後、さすがに不信感を口にし始めた。

「私たちの政府は一体どうなってるの。もう、どうしていいのか分からない。
ビルマの人は、いったいどうしたらいいの?」

昨年5月30日の虐殺事件の後、現場から二人のNLD党員がタイの難民
高等弁務官事務所に逃げ込んだ。事件が起こった現場からタイのバンコク
まで、ゆうに800キロメートルを超える距離を逃げ切ったのだ。いかに軍政
が、スパイ網を張り巡らせようが、民主化を支援する人びとの助けがある。

「勇気ある人はいます。あきらめないでください」
 私は、彼女にそう言うしかない。
最後の総選挙が行なわれたのは14年前の1990年。そのとき、「少数民族」
を含むビルマの人びとは、軍政にノーを突きつけた。民主化を約束したNLD
(国民民主連盟)党が議席の8割を獲得した。ところが、軍政は、「ビルマには
ビルマのやり方がある、多民族のため軍の力が必要だ」として、いまだに政権
委譲を拒み続けている。

新しい首相に就いたキンニュン氏は昨年8月末、軍政の延命を図るため、
民主化へ向けて形だけの「ロードマップ」を発表した。日本を含め、ASEAN諸国
もそれを受け入れた。しかし、それにはビルマ国民の意見は全く反映されていな
い。

軍政によって運命を翻弄されるビルマの人びと。国際社会はこれからもビルマの
人びとの声を無視し続けるのだろうか。

(了)