もう一つの顔
軍事独裁国家ビルマ (上)

(2)

<権力者が変わっても 変わらない独裁体制>

一体、ビルマで何が起きているのか。
過去11年、この国を取材してきて言えるのは、軍事政権が支配する国で
あるために、国内の生の情報がなかなか外へ伝えられないという現実だ。

あとどのくらいの期間でこの国は変わるのか。また、国際的に非難され続
けている軍政の存続がなぜ可能なのか。八八年に当時の軍政権を倒した
民主化運動はもう起きることはないのだろうか。さらに、普通の人びとは
軍政下で、何を考え、生活を続けているのか。私はまるごとビルマを感じ
取ろうと、現地で長期滞在することにした。

一昨年10月から今年1月半ばまで2回にわたって延べ1年1ヵ月間、ビル
マ国内7州7管区の全)州管区に足を運び、この国の現状を見て歩いた。
この期間、ビルマ国内の情勢は大きく動いていた。

一昨年12月5日、現在の軍政を作り上げたネウイン元大統領の死去。
昨年2月、民間の銀行4行が経営危機に陥り、取り付け騒ぎが起こる。

5月末、スーチー氏の3度目の拘束となる暗殺未遂/虐殺事件発生。
8月末には、SPDCの議長であるタンシュエ上級大将(71歳)が、軍の
序列三番目のキンニュン大将(65歳、SPDCの第一書記)を首相の座
につけた。

見落とせないのが、このタンシュエ上級大将こそが事実上、ビルマ軍政
の中心人物であるということだ。

タンシュエ氏は昨年1月11日、中国への公式訪問から帰国した。訪問
の目的は、主に西洋諸国が課しているビルマへの経済制裁に対抗でき
る資金援助を依頼するためであった。

国営のテレビ放送で、帰国して飛行機から下りてくるタンシュエ氏の姿を
見て驚いた。正確にはその様子に目を見張った。彼の孫2人が、周りを
ところ構わず飛び跳ねているのだ。まるで家族旅行から帰ってきた芸能
人のようだった。翌朝の国営新聞を確認してみると、一面のトップはテレ
ビと同じ。彼の孫たちがタンシュエ氏よりも前に立っている写真が掲載
されていた。個人的な旅行ならいざ知らず、公務で中国を訪問したので
はないか。知り合いのビルマ人にどう思うか聞いてみた。
「彼は王様だから」
その一言だけが返ってきた。タンシュエ上級大将のふるまいは、独裁者
の姿そのものである。

北朝鮮なら金正日、旧イラク政権ならフセイン。そのように独裁国家なら、
その独裁者の名前がすぐに浮かぶ。しかし、ビルマの場合には当ては
まらない。彼の名前は、国外にはほとんど知られていない。ビルマは
軍事政権だと知っている人は多いが、一体誰がそのトップなのか、その
名前まで知っている人は少ない。

ビルマは、軍事評議会という寡頭政治の体裁をなしているが、その実、
このタンシュエ上級大将が権力を握っている。これは国内では周知の
ことである。

そのタンシュエ上級大将が8月末、前述の軍の改革を行なった。この動
きは、現地でも見方が分かれた。一方には軍の地位が政府の役職より
も上位に位置するこの国で、キンニュン大将が、軍から政府の要職へ
移ったのは、事実上の左遷かもしれない、とする見方がある。もう一つの
見方は、キンニュン氏は権力を失ったのではなく、彼が政府の要職に就く
ことによって、軍による合法的な国の運営に乗り出したのだ、というものだ。
いづれの場合にも、その背後にはタンシュエ氏がいる。

おそらく、軍の中で役割分担が決められたのだ。国内の支配に対しては、
これまでどおりタンシュエ上級大将が権力をふるう。国外の対応に関して
は、英語が堪能で、対外的に受けのいいキンニュン氏がその役割を担う
ということだろう。タンシュエ氏は現在、今のビルマ軍政の基礎を作り上げ
た、かつての独裁者ネウインのように絶大な権力をふるうようになっている。

2003年5月30日の事件以後、NLDの活動は禁止された。
事件の前にはNLDの旗が公然とはためていたが、その後は
禁止された(中央は国旗)。